「ウィリアム・アデリン」の版間の差分

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==死後==
ウィリアムの死は、ヘンリー碩学王の希望と方針を台無しにした。彼は急いで[[アデライザ・オブ・ルーヴァン]]と再婚したものの、さらに嫡子をもうけることができなかった。明確な男性相続人がないまま(当然の選択肢であった、ロベール2世の遺児ギヨーム・クリトンはヘンリーに気に入られていなかった。ヘンリーには大勢の甥と庶子がいた。彼がかわいがっていたのは甥[[スティーブン (イングランド王)|ブロワ伯エティエンヌ・ド・ブロワ]]であり、庶子[[グロスター伯ロバート|ロバート・オブ・グロスター]]も特に際立っていたが、様々な理由から選択されなかった)、ヘンリーは自らの相続人として、一人娘である元[[神聖ローマ帝国|神聖ローマ皇后]][[マティルダ (神聖ローマ皇后)|マティルダ]]を指名した。マティルダは、ウィリアムの義弟であるアンジュー伯[[ジョフロワ5世]]と結婚した。男爵たちは彼女の権利を守るよう誓わされた。しかし、碩学王が死ぬと、男爵たちは強制されたことを理由に誓いを破り、ヘンリーの甥エティエンヌ・ド・ブロワを選び、無政府時代として知られるイングランド史の期間が促進されることとなった。
 
==脚注==