「東宝ニューフェイス」の版間の差分

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『'''東宝ニューフェイス'''』(とうほうニューフェイス)は、[[日本]]の[[オーディション]]。[[映画会社]]・[[東宝]]が戦後の[[1946年]]から[[1960年代]]後半にかけ、新たな[[俳優]]を発掘するために開催していた。第1回の[[三船敏郎]]や[[久我美子]]を始め<ref>[[田中栄三]] 「ニューフェースを育てる」『[[近代映画社|近代映画]]』 昭和22年4月号。</ref>、多くのスター俳優を輩出した。なお、[[ニューフェイス]]いう名称では1960年の第15期までで、1961年からは'''オール東宝ニュータレント'''という名称となり<ref>お宝映画・番組私的見聞録 2009年8月22日 http://ameblo.jp/tetsu8/day-20090822.html</ref>、1968年度の第8期まで開催された。関係者の中では慣例として両者ともニューフェイスと称しているため混乱して語られる傾向がある<ref>伊吹吾郎 13000人の応募勝ち抜き東宝ニューフェイス合格した(週刊ポスト2013年12月6日号)</ref>。
 
== 概要 ==
[[1946年]]6月3日に1回目を開催し、新人([[ニューフェイス]])を採用していった。入社後、東宝演技研究所の研修を受け、東宝制作の[[映画]]・[[テレビドラマ]]・[[舞台演劇]]に出演していく。中には研修を満了しないうちに[[デビュー]]するニューフェイスもおり、[[宝田明]]は研修期間中に『[[ゴジラ (1954年の映画)|ゴジラ]]』の[[主演]]へ抜擢され研修仲間に自慢したという。[[1968年]]のオール東宝第8期をもってオーディションは終焉している。
 
当時は[[五社協定]]が締結されていたため、[[東映ニューフェイス]]や[[松竹]]・[[大映]]・[[日活]]など、各映画会社がニューフェイスを定期的に公募していた。