「靖国神社」の版間の差分

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====靖国神社の存続とローマ教皇庁====
{{See|パトリック・バーン}}
終戦後も靖国神社が存続したことについて、以下のような逸話が語られている<ref name="hiwa">以下、木村正義「靖國神社とブルーノ・ビッター神父」、社報『靖國』昭和56年7月号所収。『教会秘話』志村辰弥 聖母文庫</ref>。戦後に日本を占領した[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]は、[[1945年]]、靖国神社を焼き払い[[ドッグレース]]場を建設する計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなっていた。そこで[[ローマ教皇庁]]代表であり[[上智大学]]学長でもあった[[ブルーノ・ビッテル]](Bruno Bitter、英語読みでビッターとなっている場合あり)神父と[[メリノール宣教会]]の[[パトリック・バーン]]神父に意見を求めることになった(しかし、逸話と異なり、実際はビッテルは上智大学の学長になったことは一度もなく、占領期の教皇庁の代理人でもなかった。日本における教皇庁の代理人は{{仮リンク|パオロ・マレーラ|en|Paolo Marella}})であった<ref name=Mullins>マーク・R・マリンズ「[http://21coe.kokugakuin.ac.jp/articlesintranslation/pdf/MULLINS.pdf いかにして靖国神社は占領期を生き延びたのか─通俗的主張の批判的検討─]」 2010年、國學院大學デジタル・ミュージアム。(Mark R. Mullins. (2010). “How Yasukuni Shrine Survived the Occupation: A Critical Examination of Popular Claims.” ''Monumenta Nipponica'' 65(1): 89-136. 上智大学 の翻訳)</ref>)。ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」「靖国神社を焼却する事は、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」<ref name="hiwa"/>と述べ、次の言葉で締め括った。
 
: 「靖国神社が[[国家神道]]の中枢で、誤った[[国家主義]]の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、[[信仰の自由]]が完全に認められ、[[神道]]・[[仏教]]・[[キリスト教]]・[[ユダヤ教]]など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」