「エコー&ザ・バニーメン」の版間の差分

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;成功
彼らのデビューアルバム『クロコダイルズ』(1980)は家の称賛を受け、イギリスでトップ20入りを果たす。続くセカンドアルバム『ヘヴン・アップ・ヒア』(1981)はイギリスのアルバムチャートで10位に達し、[[ニュー・ミュージカル・エクスプレス|NME]]誌の読者人気投票で年間ベスト・アルバムに選ばれた。先行シングルの"The Cutter"がイギリストップ10に入り、満を持して発表された三作目のアルバム『ポーキュパイン (やまあらし)』(1983)はチャート2位にまで上り詰める。人気の絶頂の中で同年夏にはクラシックの殿堂、[[ロイヤル・アルバート・ホール]]でライヴを行っている。彼らの成功は次作『オーシャン・レイン』(1984)でも続き、"Killing Moon"、"Silver"、"Seven Seas"などのヒット曲が生み出された。また、[[1984年]]1月には初来日も果たした。
 
;転機から解散
ところが、『エコー&ザ・バニーメン』(1987)の発表後、ボーカリストのマッカロクがソロキャリアを追求するためにバンドを脱退。[[1989年]]には、ドラマーのデ・フレイタスがバンドの練習に向かう途中でオートバイ事故に遭い死亡するという悲劇が起きる。残されたメンバーのサージェントとパティンソンは、リードシンガーとしてノエル・バークを、ドラマーとしてデイモン・リースを、キーボーディストとしてジェイク・ブロックマンを参加させ活動を継続。新体制で『リヴァーバレーション』(1990)をリリースしたが家には酷評され、マッカロクからも「Echo & the Bogusmen (偽者ども)」と揶揄される。商業的にも失敗に終わり、バンドは1993年5月に解散した。
 
;再結成から現在