「インプレッションズ (音楽グループ)」の版間の差分

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===初期===
[[1950年代]]半ばにバトラーとカーティスが[[シカゴ]]の[[聖歌隊]]で出会う。二人はいろんな地元バンドで歌った後"The Roosters"に1957年加入<ref name="allmusicbio">{{Cite web |url=http://www.allmusic.com/artist/the-impressions-mn0000082013/biography |title=The Impressions Biography |first=Steve |last=Huey |accessdate=2014-05-03}}</ref>。1958年、エディー・トーマスが[[マネージャー]]になり、[[ヴィージェイ・レコード]]と契約。"Jerry Butler & the Impressions"となる。
 
バトラーが書いた1958年のシングル『フォー・ユア・プレシャス・ラブ』はポップで11位、R&Bで3位になる<ref name="allmusic albums" />
 
R&Bでトップ30になった"Come Back My Love"の後バトラーが独立。カーティスが引き継ぐ<ref name="allmusicbio" />
 
=== ABC-パラマウントでの成功 ===
メイフィールドはバトラーの初期のヒット群を書き、印税でシカゴに引っ越した。ABC-パラマウントと1961年に契約、インプレッションズ単独で初のシングル『ジプシー・ウーマン』を発表、R&B2位、ポップ20位となった<ref name="allmusic albums" />
 
その後、プロデューサーの[[ジョニー・ペイト]]と組んでサウンドを刷新し、『イッツ・オールライト』が1963年にミリオン、ポップで4位となった<ref name="allmusic albums" />。1963年の最初のLP''The Impressions''の終曲になった。1964年に黒人の誇りの応援歌『キープ・オン・プッシング』がヒット。社会意識・政治意識を持つ歌が増えた。1965年、『ピープル・ゲット・レディ』がヒット。
 
===社会意識===
1968年、"I Loved and Lost"、"We're a Winner"を発表し、メイフィールドは自分の会社カートム(Curtom)を立ち上げ、インプレッションズも所属<ref name="allmusicbio" />。メッセージ・ソング"Choice of Colors" (1969) 、"Check Out Your Mind" (1970)のヒットが続いた。
 
インプレッションズは[[ジャマイカ]]の[[ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ]]や[[スカ]]/[[ロックステディ]]の集団・歌手に影響を与えた。ザ・ウェイラーズはハーモニーのスタイルをインプレッションズに負い、 "One Love/People Get Ready" (Bob Marley / Curtis Mayfield) 、"Keep On Moving", "Long Long Winter"、"Just Another Dance"でインプレッションズをカバー(もしくは引用)した。[[Pat Kelly (musician)|Pat Kelly]]は "Soulful Love"を、The Heptonesは"I've Been Trying"をカバー。ハーモニーともども社会的な歌詞が彼らにアピールしたのだと考えられる。
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''Check Out Your Mind'' LPを1970年に発表後、メイフィールドがソロになり、映画「[[スーパーフライ (映画)|スーパーフライ]]」のサントラが最も売れ、映画『[[愛しのクローディン]]』、『{{仮リンク|スパークル (映画)|label=スパークル|en|Sparkle (1976 film)}}』の{{仮リンク|スパークル<!-- リダイレクト先の「[[SPARKLE (曖昧さ回避)]]」は、曖昧さ回避ページ -->|label=サウンドトラック|en|Sparkle (Aretha Franklin album)}}、映画{{仮リンク|シドニー・ポワチエ/ピース・オブ・アクション|en|<!-- 要修正 -->}}の{{仮リンク|シドニー・ポワチエ/ピース・オブ・アクション (サウンドトラック)|label=サントラ|en|A Piece of the Action (soundtrack)}}もやった。その間もインプレッションズの曲の作曲・制作はしていた。
 
メイフィールドの後釜はリロイ・ハトソンだったが、あまり成功せず、ハトソンは1973年脱退<ref name="allmusicbio" />
 
=== 後期 ===
 
代わりにラルフ・ジョンソンとレジー・トリアンが入り<ref name="allmusicbio" />、1974年1975年に"[[Finally Got Myself Together (I'm a Changed Man)]]"、"Same Thing it Took"、"Sooner or Later"が大ヒット。1976年、グループはCurtomを去り[[コティリオン・レコーズ]]と契約。最後のヒット"Loving Power"が出た。
 
その後[[20th Century Records]]と契約するも鳴かず飛ばず。<ref>{{cite web|url=http://www.soulmusichq.com/artists/impress.htm |title=Impressions |publisher=Soulmusichq.com |date= |accessdate=2011-11-08}}</ref><ref name="soulmusichq">{{cite web|url=http://www.soulmusichq.com/goodbye.htm |title=Soul Music HQ The Drifters |publisher=Soulmusichq.com |date= |accessdate=2011-11-08}}</ref>ずいぶんのちの2001年、[[エリック・クラプトン]]のアルバム''[[レプタイル]]''に参加した。