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Terminal21 (会話 | 投稿記録)
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== 略史 ==
古来[[砂金]]は大口取引に用いられてきたが、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に入り[[金鉱山|金山]]の開発が活発になると'''金屋'''(かねや)といった[[両替商]]兼[[金細工師]]が登場するようになり、'''練金'''(ねりきん)あるいは'''竹流金'''(たけながしきん)といった金塊を槌で叩き伸ばし、内部まで金でできていることを証明する、'''判金'''(ばんきん)が登場した。この「判」とは品位および量目を保障する墨書(ぼくしょ/すみがき)および極印(ごくいん)を意味する<ref name="mikami" />。
 
この判金の量目は金一枚(四十四匁)を標準とするもので、高額の代金の支払い、借金の返済の場合は金屋において判金を購入し支払いに当てるのが当時のしきたりであった<ref>『日本の貨幣-収集の手引き-』 日本貨幣商協同組合、1998年</ref>。戦国時代頃の金一枚は凡そ[[米]]四十~五十[[石 (単位)|石]]に相当したという。また戦において功績を挙げた者に対する褒美としても用いられ、[[江戸時代]]にもこの伝統が受け継がれ、[[恩賞]]、贈答用には金一枚を単位とする大判が用いられることになった。