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[[フィリピンの戦い (1944-1945年)|フィリピンの戦い]]に参加。1944年10月22日第一航空艦隊長官[[大西瀧治郎]]中将から第二航空艦隊も特攻を採用するようにと説得され断ったが、第一航空艦隊の特攻戦果が出た25日第二航空艦隊も特攻採用を決定する<ref>戦史叢書45大本營海軍部・聯合艦隊 (6) 第三段作戦後期 504頁</ref>。大西は福留に対し「特別攻撃以外に攻撃法がないことは、もはや事実によって証明された。この重大時期に、基地航空部隊が無為に過ごすことがあれば全員腹を切ってお詫びしても追いつかぬ。第二航空艦隊としても、特別攻撃を決意すべき時だと思う」と説得して、福留の最も心配した搭乗員の士気の問題については確信をもって保証すると断言したため、福留も決心し、第一航空艦隊と第二航空艦隊を統合した[[連合基地航空隊]]が編成された。福留が指揮官、大西が参謀長を務めた<ref>金子敏夫『神風特攻の記録』光人社NF文庫155–159頁。猪口力平、中島正 『神風特別攻撃隊の記録』 雪華社91–93頁。</ref>。福留は1944年10月27日第二神風特別攻撃隊を編制して出撃させて以降、次々と特攻隊を送った。
 
1944年11月16日福留は中央に対して「航空兵力の現状から各機種共体当たり撃を主用するに非ざれば作戦目的達成算なし」「陸海を合わし約300機の協力あれば機動空母を制圧撃破しつつ船団を壊滅し得る算あり」「航空兵力の急速増強を非常措置を以て促進するあり増援の思考す」という意見具申電(1GFGB機密第16145番電)を発する。[[大川内傳七]]中将も同旨だとして大西を上京させて説明すると打電。11月18日から大西らが中央を説得し、軍令部と海軍省の協議で練習航空隊から零戦隊150機の抽出が決定された<ref>戦史叢書93大本營海軍部・聯合艦隊 (7) 戦争最終期、90–9189–90頁。</ref>。
 
[[1945年]](昭和20年)1月13日[[航空艦隊#第十三航空艦隊|第十三航空艦隊]]兼[[南遣艦隊#第一南遣艦隊|第一南遣艦隊]]司令長官司令長官。2月5日[[第十方面艦隊]]司令長官兼任。1945年8月15日[[シンガポール]]で終戦を迎えた。