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'''筑摩書房'''(ちくましょぼう)は、日本の大手[[出版社]]。筑摩書房のマーク(空を截る鷹)のデザインは[[青山二郎]]作。名称は、古田の故郷である[[長野県]][[東筑摩郡]][[筑摩地村]](現[[塩尻市]])にちなむ
文学者を中心に個人全集は、増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と称されている。また現在まで古典・現代文の教科書を毎年出版している。なお月刊[[PR誌]]に『ちくま』がある。
『世界文学全集』は多くの類書シリーズを刊行する。特に『筑摩世界文学大系』は1971~98年に全91冊を、『世界古典文学全集』は『第1巻. [[ホメーロス]]』が、1964年に発刊以来、数度新版を刊行し、丸40年を経て2004年5月に、54冊目『第17巻 老子・荘子』が刊行完結した。
再建以降のヒット作としては、「ちくま文学の森」([[1988年]])、[[赤瀬川原平]]「老人力」([[1998年]])などを出していがある。
 
== 沿革 ==
* [[1940年]]([[昭和]]15年) - [[6月18日]][[東京大学|東京帝国大学]]出身の[[古田晁]]が創業。筑摩書房のマーク(空を截る鷹)のデザインは[[青山二郎]]作。名称は、古田の故郷である[[長野県]][[東筑摩郡]][[筑摩地村]](現[[塩尻市]])にちなむ
* [[1942年]]([[昭和]]17年)に、 - [[臼井吉見]]、[[中村光夫]]、[[唐木順三]]を顧問として'''株式会社筑摩書房'''設立。
* [[1946年]] - 月刊誌『[[展望 (雑誌)|展望]]』を創刊。
* [[1948年]] - 『[[中島敦]]全集』を刊行、[[毎日出版文化賞]]を受賞。『展望』6月号~8月号に[[太宰治]]の『[[人間失格]]』が連載される。
* [[1951年]] - 月刊誌『言語生活』を創刊。
* [[1953年]] - 『現代日本文学全集』を刊行開始。
* [[1955年]] - 『[[太宰治]]全集』を刊行。
* [[1956年]] - 『[[宮沢賢治]]全集』を刊行。
* [[1958年]] - 『世界文学大系』を刊行開始、69年完結。
* [[1962年]] - 『定本[[柳田國男]]集』を刊行開始、71年完結。
* [[1963年]] - 「筑摩叢書」を刊行開始(約360点。1992年まで)。『[[現代日本思想大系]]』を刊行開始。    
* [[1964年]] - 『[[井伏鱒二]]全集』を刊行。
* [[1965年]] - 『[[明治文学全集]]』を刊行開始、88年完結。   
* [[1966年]] - 古田が社長を退任、[[竹之内静雄]]が社長となる。
* [[1968年]] - 『[[現代日本文学大系]]』を刊行開始、73年完結。
* [[1970年]] - [[和田芳恵]]『筑摩書房の三十年』(付 図書総目録、非売品)を出版した。
* [[1971年]] - 『筑摩世界文学大系』を刊行開始、98年完結。
* [[1972年 ]] - 竹之内が退任、井上達三が社長となる。
* [[1973年]] - 古田が死去。
* [[1974年]] - 『[[近代日本思想大系]]』を刊行開始、90年完結。
* [[1977年]] - 臼井吉見『[[事故のてんまつ]]』事件が起こり、川端康成の遺族から提訴され、謝罪して絶版とする。岡山猛(1921-1992)が社長となる。
* [[1978年]] - [[7月12日]]、業績不振のため[[会社更生法]]の適用を申請。全集・教科書などの刊行は続けられた。[[布川角左衛門]]、[[関根栄郷]]弁護士が管財人となり、布川が代表取締役となる
* [[20051985年]] - [[ちくまプリマー新書文庫]]創刊した
*[[布川角左衛門]]、[[関根栄郷]]弁護士が管財人となり、布川が代表取締役となる。
* [[1991年 ]] - 債務返済が完了し、関根が社長となるに就任。2月、創立50周年記念出版『筑摩書房図書総目録 1940-1990』を出版 
* 森本政彦が社長となるに就任
* [[1992年]] - [[ちくま学芸文庫]]創刊。
*1996年、[[柏原成光]](1939- )が社長となる。
* [[20101994年]] - [[筑摩選ちくま新書]]創刊した
*1998年、決定版『太宰治全集』を刊行開始(全13巻)。
*1999 [[1996]] - [[菊池明郎柏原成光]](1939 - )が社長となるに就任
* [[1998年]] - 決定版『太宰治全集』を刊行開始(全13巻)。
*2011年、熊沢敏之が社長となる。
* [[1999年]] - [[菊池明郎]]が社長に就任。
 
* [[2005年]] - [[ちくまプリマー新書]]創刊。
文学者を中心に個人全集は、増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と称されている。また現在まで古典・現代文の教科書を毎年出版している。なお月刊[[PR誌]]に『ちくま』がある。
* [[2010年]] - 10月、[[筑摩選書]]創刊。
 
* [[2011年]] - 熊沢敏之が社長に就任。3月創立70周年記念出版として、筑摩選書版で上記の和田芳恵筑摩書房の三十年』が復刊し、あわせて[[永江朗]]『筑摩書房  それからの四十年 1970-2010 1970-2010』が刊行された
1963年から1992年まで、古今東西の人文学術書を再刊・新訳した「筑摩[[叢書]]」を約360冊刊行した。『世界文学全集』は多くの類書シリーズを刊行。
 
特に『筑摩世界文学大系』は1971~98年に全91冊を、『世界古典文学全集』は『第1巻. [[ホメーロス]]』が、1964年に発刊以来、数度新版を刊行し、丸40年を経て2004年5月に、54冊目『第17巻 老子・荘子』が刊行完結した。
 
1985年より[[ちくま文庫]]、1992年より[[ちくま学芸文庫]]、1994年より[[ちくま新書]]を刊行開始した。2010年10月には筑摩[[選書]]が発足した(前年より不定期で双書シリーズを刊行しており、発展させた形である)。
 
再建以降のヒット作では、「ちくま文学の森」([[1988年]])、[[赤瀬川原平]]「老人力」([[1998年]])などを出している。
 
1991年2月に創立50周年記念出版で『筑摩書房図書総目録 1940-1990』が出版された。
 
[[2005年]]、[[ちくまプリマー新書]]を創刊した。
 
[[2010年]]、[[筑摩選書]]を創刊した。
 
2011年3月に創立70周年記念出版として、筑摩選書版で上記の和田『-三十年』が復刊し、併せて[[永江朗]]『筑摩書房 それからの四十年 1970-2010』が刊行された。
 
== 倒産・再建について ==
[[2007年]]([[平成]]19年)[[3月]]、出版関係者の集いの『本の会』主催の講演会(東京・文京区本郷)にて、社長の菊池明郎(倒産時は入社7年目の営業マン)が、『筑摩書房はどのようにして復活したのか、倒産30年の軌跡』で詳細な経緯を語った。
*損をしてもいいから、良い本を出そうが創業精神であったため、経営がピンチになるたびに、創業者の[[古田晁]]が自分の財産である山林を売って、赤字を補填してきた。
* 倒産時まで、社長が労働組合を恐れ、ボーナスを大盤振舞いし、放漫経営をしていた。
* 再建のために、『マーケティング重視への転換。実売率を高めていく』の方針をたてた。
* まずは、書店からの[[売上スリップ]]でデータを取り、分析、解析。やがて、[[販売時点情報管理|POS]]データの活用も行った。また、解析のためのシステムの開発も十分に行い、同業他社に比べ、早くから社内[[Local Area Network|LAN]]を導入し、全員がパソコンを持った。埼玉にある倉庫にも無線[[Local Area Network|LAN]]を使い、返品、入庫のデータを飛ばすなどした。
* [[ロバート・キヨサキ]]著『金持ち父さん 貧乏父さん』は、シリーズとして250万部以上が売れるベストセラーになった。
 
=== 関係者による書籍 ===
*『損をしてもいいから、良い本を出そう』が創業精神であったため、経営がピンチになるたびに、創業者の[[古田晁]]が自分の財産である山林を売って、赤字を補填してきた。
* 菊池明郎『営業と経営から見た筑摩書房 出版人に聞く〈7〉』論創社 2011年、聞き手[[小田光雄]]による回想と検証
*倒産時まで、社長が労働組合を恐れ、ボーナスを大盤振舞いし、放漫経営をしていた。
* 柏原成光『本とわたしと筑摩書房』[[パロル舎]] 2009年
*再建のために、『マーケティング重視への転換。実売率を高めていく』の方針をたてた。
* 同『黒衣の面目 編集の現場から』風濤社 1997年
*まずは、書店からの[[売上スリップ]]でデータを取り、分析、解析。やがて、[[販売時点情報管理|POS]]データの活用も行った。また、解析のためのシステムの開発も十分に行い、同業他社に比べ、早くから社内[[Local Area Network|LAN]]を導入し、全員がパソコンを持った。埼玉にある倉庫にも無線[[Local Area Network|LAN]]を使い、返品、入庫のデータを飛ばすなどした。
*[[ロバート・キヨサキ]]著『金持ち父さん 貧乏父さん』は、シリーズとして250万部以上が売れるベストセラーになった。
 
===関係者による書籍===
*菊池明郎『営業と経営から見た筑摩書房 出版人に聞く〈7〉』論創社 2011年、聞き手[[小田光雄]]による回想と検証
*柏原成光『本とわたしと筑摩書房』[[パロル舎]] 2009年
*同『黒衣の面目 編集の現場から』風濤社 1997年
:倒産・再建の経緯や、関連人物を回想している。
* 同『友 臼井吉見と古田晃と――出版に情熱を燃やした日々』紅書房 2013年
:筑摩書房創立に深い関わりを持つ二人の友情を、青年期から古田の死後まで辿ったドキュメント。
* 田中達治『どすこい出版流通 筑摩書房「蔵前新刊どすこい」営業部通信 1999-2007』ポット出版、2008年
:著者(1950~2007年)は菊池の後任の営業部長で取締役にも就いたが、2007年7月にガンで退任し数か月後に病没した。
* [[松田哲夫]]『編集狂時代』([[本の雑誌社]]、のち[[新潮文庫]]) 半生記
:著者は専務取締役を経て顧問、多くのマスメディアに登場。詳しい内情が記されているが、柏原や菊池とは(露骨なメディア出演や、出版路線などをめぐり)対立している。
 
* (近年の)古田の伝記は、[[塩澤実信]]『古田晁伝説 人間ドキュメント』[[河出書房新社]] 2003年
* 創業時の回想などは、臼井吉見編『そのひと ある出版者の肖像』径書房 1980年
** 元版 井上達三編『回想の古田晁』筑摩書房、1974年 非売品
 
==本社==
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[[神田神保町]]の隣の[[神田小川町]]に小さな建物の本社があったが、そこを1988年に売却し、蔵前に移転。もとは貸しビルだったが買い取り本社にした。[[川本三郎]]がエッセイの中で、編集者たちが[[神田神保町|神保町]]という偉大な[[図書館]]から離れてしまったために、色々と苦労させられている旨が述べられている。
 
サービスセンターは、[[大宮市]](現在[[さいたま市]]北区櫛引町)にある。物流の拠点で受注・出荷・改装を受け持つ。刊行書籍の[[奥付]]に「在庫の問い合わせなどはそちらに連絡して下さい」との、ただし書きがある。なお[[上尾市]]に改装センター倉庫がある。
 
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==関連項目 ==
* [[頓智]]
* [[臼井吉見]]
* [[展望 (雑誌)]]
* [[太宰治賞]]
* [[径書房]]  - 「展望」編集長だった[[原田奈翁雄]]が設立
* [[松下裕]]  - 元文芸担当の編集者で[[ロシア文学者]]
 
==外部リンク==
* [http://www.chikumashobo.co.jp/ 筑摩書房 公式サイト]
 
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