「NHK杯 (競馬)」の版間の差分

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第1回は、[[皐月賞]]の優勝馬の[[ボストニアン]]や2着馬[[ハクリヨウ]]、[[フソウ]]などが出走し、ボストニアンが勝利を飾った。この年の東京優駿は結局テレビ中継できなかったものの、これらの馬がNHK杯競走で好成績を挙げたことをメディアで取り上げられたことでNHKの狙いは達成され、翌年以降は両競走ともにテレビ中継されるようになった。
 
東京優駿のトライアルレースに相応しく、創設当初は[[皐月賞]]出走組が参戦する傾向が見られ、ボストニアンを初めとする5頭の優勝馬のほか、本競走に出走した11頭の出走馬が東京優駿で優勝を果たしたが、第30回に出走した[[バンブーアトラス]]を最後にNHK杯をステップとして東京優駿に優勝する競走馬は出ることがなく、さらにNHK杯優勝馬の東京優駿優勝に至っては[[1975年]]の[[カブラヤオー]]以降出なかった。[[1980年代]]以降、馬優先の[[ローテーション (競馬)|出走ローテーション]]が競馬界に広まり、東京優駿本番まで中2週の本レースを有力馬の陣営が避けるようになり、皐月賞で好走した馬などはまず出走してこなくなった。必然的に出走馬のレベルは低下し、その競走意義に価値を示すことができなくなった。

また、[[中央競馬]]内における[[外国産馬]]の活躍などの影響から、開催プログラムを改定することになり、[[1995年]]の秋にその年の第43回競走を最後に廃止が決まった。なお、東京優駿のトライアルレースとしての機能は翌年に新設された[[プリンシパルステークス]](OP・東京競馬場・芝2200メートル〈現:芝2000メートル〉)に引き継がれ、NHK杯としては1996年に新設された[[NHKマイルカップ]](GI・芝1600m)として現在に引き継がれている(このため、NHK杯で実施されていた上位馬に対するダービー優先出走権利付与は、NHKマイルカップでは実施されていない)
 
出走条件は3歳(旧4歳)の国内産の[[牡馬]]・[[牝馬]]限定で[[外国産馬]](1972年 - 1983年までは[[持込馬]]含む)および、[[せん馬|騸馬]]は出走できなかった。