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'''仁科 盛政'''(にしな もりまさ、生年未詳 - [[1561年]]([[永禄]]4年)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[信濃国]][[安曇郡]][[森城 (信濃国)|森城]]主。官位は[[従五位]]下、[[右衛門大夫]]。[[仁科盛康]]の子。子に[[仁科盛信]]室。[[仁科氏]]直系の最後の当主。
 
[[仁科氏]]は先祖代々信濃国安曇郡の[[国人]]領主であった。戦国期に入り[[武田信玄]]の信濃侵攻に対し主家の信濃[[小笠原氏]]信濃[[村上氏]]と共闘するが力及ばず、その軍門に降っていた。

1561年(永禄4年)仁科氏最後[[第四次川中島城主であった戦い]]の折、盛政は武田信玄に従い佐久地方を転戦していた。 この時、留守役の家臣達が[[上杉氏]]からの誘いに乗り武田氏に抵抗の姿勢をった。このため武田氏は森城を攻略され、盛政は甲斐に連れ去られ殺された。盛政の死後、武田信玄の五男[[仁科盛信]]が[[養子]]として仁科氏の[[名跡]]を継いだ。
 
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