「装甲兵員輸送車」の版間の差分

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== 概要 ==
[[ファイル:M113A1-latrun-1.jpg|thumb|250px|装軌式のM113]]
[[ファイル:Patria AMV Karlovac 2009 9.jpg|thumb|250px|left|装輪式のAMV]]
[[自動車]]が発明されると、これを軍事利用しようという動きが生まれた。例として、[[日露戦争]]においては[[大日本帝国陸軍]][[第3軍 (日本軍)|第3軍]]に自動車を有する[[輜重]]部隊、独立自動車第113大隊があった。
 
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前者の例は補給部隊の効率向上策だが、後者の例では前線近くまで兵員を輸送しており、[[鉄道]]の無いところに[[騎兵]]以外の部隊を迅速に投入できるという利点を認められた。これにより第一次世界大戦以降、各国軍は自動車で移動する[[自動車化歩兵]]部隊を創設するようになる。用いられたのは[[装甲]]のない大型軍用[[貨物自動車|トラック]]であり、巻き込まれる場合を除いて砲火を交える戦場に自動車が入り込むようなことは想定されていなかった。これは、自動車はあくまでも前線までの移動手段で、戦闘地域の前で降車して徒歩戦闘に移るという考えに基づく。軍用トラックであっても、不整地走破能力に乏しく、戦場の真っただ中で立ち往生することが危惧されたためである。
 
[[ファイル:M113A1-latrun-1.jpg|thumb|250px|装軌式のM113]]
[[ファイル:Patria AMV Karlovac 2009 9.jpg|thumb|250px|left|装輪式のAMV]]
[[第二次世界大戦]]前に生まれた新しい戦術思想により、[[歩兵]]部隊は先陣を切る装甲装軌車両([[戦車]])に随伴することが求められ、より[[機械化歩兵|機械化]](自動車化)が促進される。しかし、自動車化歩兵に与えられていたトラックは無防備の装輪式であり、その任務に就くには悪路での機動性能や防御力に問題があった。これを解決するため、トラックに[[無限軌道]]と装甲を施した[[半装軌車]](ハーフトラック)が作られ、あるときは兵を戦場へと運び、あるときは兵を[[砲弾]]破片や[[銃弾]]から守った。ただ、半装軌車でも悪路での機動性能に劣るため、[[第二次世界大戦後]]に開発された車両の多くは装甲化された装軌車両となり、装甲兵員輸送車という名が定着した。