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龍伯 (会話 | 投稿記録)
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[[ファイル:Lakehurst LZ126-LZ127.jpg|thumb|250px|left|レイクハーストの格納庫(左:LZ 126「ロサンゼルス」、右:LZ 127「グラーフ・ツェッペリン」)]]
 
初めのうちLZ 127は、正規の飛行船旅行へ向けた実験的およびデモンストレーション用の目的で使用されることになっていたが、経費を相殺するため渡航者や手紙を運ぶようになった。1928年10月、[[アメリカ合衆国]][[ニュージャージー州]][[レイクハースト (ニュージャージー州)|レイクハースト]]へ最初の長距離飛行が決行され、到着した乗組員は[[ニューヨーク市]]で紙ふぶきの舞うパレードで熱狂的な歓迎を受けると、[[ホワイトハウス]]にも招かれた。その後にグラーフ・ツェッペリンは[[ドイツ]]、[[イタリア]]、[[パレスチナ]]と[[スペイン]]を訪れた。アメリカへ飛行する2度目の旅行は、[[1929年]]5月にエンジンの故障が原因で[[フランス]]にて中止となった。
 
1929年8月、LZ 127は完全な地球一周という思い切った冒険へと出発した。この「空の巨人」の増加する人気のおかげで、ツェッペリン社幹部の[[フーゴー・エッケナー]]博士はスポンサーとなる企業を容易に見つけることができた。その出資者の中には、世界一周の旅をレイクハーストから正式に出発するよう求めた人物である、アメリカ出版界の大君[[ウィリアム・ランドルフ・ハースト]]がいた。その年の8月8日にLZ 127は出発、[[大西洋]]を横切ってツェッペリン号の故郷であるドイツの[[フリードリヒスハーフェン]]へと飛行した。