「スヴェン1世 (デンマーク王)」の版間の差分

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『[[ヘイムスクリングラ]]』によると、妻は、1人目は[[ヴェンド人|ヴェンド]]の王[[ブリスラヴ]]の娘、グンヒルド([[:en:Gunhild of Wenden|en]])。彼女の死後、[[スウェーデン]]王[[オーロフ (スウェーデン王)|オーロフ]]の母で、{{仮リンク|スコグルのトースティ|en|Skagul Toste}}の娘のシグリーズ([[:en:Sigrid the Haughty|Sigrid Storråda]])を2人目の妻に迎えた<ref>『ヘイムスクリングラ(二)』64-65頁(「第三十四章 ハラルド・ゴルムスソンの死」)。</ref>。
なお、『{{仮リンク|クニートリンガ・サガ|en|Knýtlinga saga}}』によればグンヒルドとの間に生まれたのが[[クヌーズ1世 (デンマーク王)|クヌーズ1世]]である。また『ヘイムスクリングラ』によれば、娘のギュザ<ref name="heim2">『ヘイムスクリングラ(二)』で確認できる表記。</ref>ギューザ(とも。[[:no:Gyda Sveinsdatter|no]])はノルウェーの[[エイリーク・ハーコナルソン]]の妻になった<ref>『ヘイムスクリングラ(二)』142頁(「第九十章 エイリークの東方への遠征」)。</ref>。また、妹の{{仮リンク|スュリ・ハラルズドッティル|en|Tyra of Denmark|label=スュリ}}<ref name="heim2" />(タイア、チューリとも)はブリスラヴ王の妻となった後、異教徒であった王を嫌って逃れ、[[オーラヴ1世 (ノルウェー王)|オーラヴ・トリグヴァソン]]の3番目の妻になった<ref>『ヘイムスクリングラ(二)』143-145頁(「第九十二章 ブーリズラヴ王の結婚」)</ref>。ほかに娘にエストリズがおり、デーンの伯ウルフと結婚し、息子はのちに[[スヴェン2世 (デンマーク王)|スヴェン2世]]としてデンマーク王となり[[エストリズセン]]を開いた。
 
スヴェン1世は父[[ハーラル1世 (デンマーク王)|ハーラル1世]]“青歯王”の後を継ぎ、[[デンマーク]]および[[ノルウェー]]の王となった。しかしすぐに[[スウェーデン]]の{{仮リンク|エリク6世 (スウェーデン王)|en|Eric the Victorious|label=エリク6世}}“勝利王”に敗れ、デンマークから追放された。エリク6世の死後スヴェン1世はデンマークへ戻った。