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; 民本と易姓革命
: 鄭道伝は『朝鮮経国典』で「'''民は至って弱きものなり。されど力を以ってこれを怯えさせることはできぬ。(民は)至って愚かなり。されど智を以ってこれを欺くことはできぬ。即ちその心を得て心服させるべし。その心を得られなければ民はすぐ去ってゆく。'''」(下民至弱也。不可以力劫之也。至愚也。不可以智欺之也。得其心則服之。不得其心則去之。)と言い、民こそが国の根本であり政治を行う王や士族は民のために存在するものとした。またこれはそのまま王としての役目を果たさず人民を苦しめる暴君を討ち人徳のある君主を立てるべきだという[[易姓革命]]にも通じ、朝鮮王朝創建の理論的な土壌を作った。しかしこれは「忠臣は二君に仕えず」と言う儒教の教えに背くものであり、鄭道伝は師の李穡や師弟の李崇仁、親友の鄭夢周など多くの保守派の士大夫から敵対される結果となった。また彼は著作の中で百姓や隠者の口を借りる形式を取り人民の保護という自分の任務を全うせず私腹を肥やす役人や理屈ばかりを口にし聖賢の教えを実践しない腐敗した儒者を激しく批判している。<ref>『三峰集』、"田夫に答える"、"錦南野人"</ref>
 
; 仏教への批判と崇儒抑仏政策