「メクレンブルク=シュヴェリーン」の版間の差分

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「ドイツ語の発音」部分をコメントアウト。発音記号は [ʃveˑriːn]。忠実に表記すればこそ「シュヴェリーン」。Duden発音辞典参照。
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メクレンブルク=シュヴェリーンは[[バルト海]]沿岸の[[ホルシュタイン]]と[[ポンメルン]]に挟まれた位置にあり、[[神聖ローマ帝国]]内では比較的弱小な領邦であった。同国を治めたのは[[スラヴ人]]の血を引く[[メクレンブルク家]]の人々だった。
 
<!--なお、日本では「シュヴェリーン」と表記されることが多いが、ドイツ語の発音に忠実に表記すれば「シュヴェーリン」が近い。
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== 歴史 ==
メクレンブルク家の始祖は、スラヴ人の部族連合[[オボドリト族]]の族長の一人[[ニクロト]](1090年 - 1160年)という人物だった。ニクロトは[[ヴェンド十字軍]]の中で勢力拡大を続ける[[ザクセン公国|ザクセン族]]の[[ハインリヒ3世 (ザクセン公)|ハインリヒ獅子公]]に立ち向かい、命を落とした。ニクロトの遺児[[プリビスラフ (メクレンブルク侯)|プリビスラフ]]はハインリヒ獅子公に降伏し、[[1167年]]に父祖伝来の領地をドイツ王国の封土メクレンブルク侯領という形で相続した。
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[[Category:メクレンブルク=フォアポンメルンの歴史]]
[[Category:ドイツの領邦]]
[[Category:神聖ローマ帝国の領邦国家]]
[[Category:ドイツの歴史 (1806年-1870年)連邦]]
[[Category:ドイツ帝国の構成国]]
[[Category:メクレンブルク=シュヴェリーン家|*]]