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'''正田 樹'''(しょうだ いつき、[[1981年]][[11月3日]] - )は、日本[[群馬県]][[太田市]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])。
 
== 来歴・人物 ==
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{{by|2008年}}も一軍登板はなく、二軍では5点近い防御率に終わった。結局阪神では一度も一軍登板することなく、10月2日に[[戦力外通告]]を受けた。その後[[12球団合同トライアウト]]に参加したが、獲得する国内球団はなかった。この時期の様子は、[[TBSテレビ]]の年末番組『[[プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達]]』で取り上げられた。
 
=== 台湾・アメリカ球界米国時代 ===
{{by|2009年}}[[1月14日]]、[[中華職業棒球大聯盟]]球団の入団テストを受けるため[[台湾]]に渡り、[[興農ブルズ]]のキャンプに参加。[[1月23日]]、仮契約に至った。しかし、野球賭博の影響による球団数減少によって投手陣が充実した興農が、即戦力の先発ローテーション投手のみを採用する方針としたため、1月中に予定されていた最終テストの合否判定は延期されて、最終的に入団テストに合格したのは開幕直前の3月上旬であった<ref>TBSテレビ『[[バース・デイ]]』、2009年4月27日放送。</ref>。[[3月29日]]の対[[La Newベアーズ]]戦で[[開幕投手]]を務めるが、1/3回、打者8人に対し4安打3四球の7失点でノックアウトされた<ref>[http://www.nownews.com/2009/03/29/91-2429314.htm 陽建福第3週才出賽] (NOWnews) 2009年12月6日閲覧。</ref>。しかし、次の登板の[[4月4日]]には同じLa Newを7奪三振の無四球で6回無失点に抑えた<ref>[http://www.libertytimes.com.tw/2009/new/apr/5/today-sp12.htm 正田樹雪恥 牛迎4連勝](自由電子報)2009年12月6日閲覧。</ref>。その後はシーズンを通して[[先発ローテーション]]の一角を担い、27試合(うち先発25試合)に登板し、防御率4.44, 14勝6敗、奪三振115の成績で勝投王(最多勝利)と三振王(最多奪三振)の[[タイトル]]を獲得した。11月から12月にかけて[[ドミニカ共和国|ドミニカ]]の[[ウィンターリーグ]]にヒガンテスの一員として参加し、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]進出を図ったが、2010年も興農でプレーすることになった。
 
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[[大平成一]]、[[細山田武史]]、[[山本大明]]、[[工藤隆人]]の打者4人に対し、被安打1、1三振、2内野ゴロの結果であった<ref name="sponavi20131110"/>。
 
=== Lamigo時代台湾復帰 ===
[[2014年]][[1月20日]]、[[中華職業棒球大聯盟]]の[[Lamigoモンキーズ]]と契約し、[[2010年]]の[[興農ブルズ]]以来となる台湾球界復帰となった<ref name="jiyuu20140120">{{cite news
|title = 中職》正田樹回鍋中職 加盟Lamigo桃猿
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|publisher = [[産経新聞]]
|date = 2014年1月22日
| accessdate = 2014年1月29日}}</ref>。しかし開幕から被打率.331と打ち込まれ、5月12日に解雇された。2勝2敗、防御率4.81の成績だった<ref>週刊ベースボール2014年6月2日号102ページ</ref>。
 
== プレースタイル ==
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* [[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]](2002年)
;CPBL
* 月間MVP(2009MVP:3回(2009年10月、2010年9・10月)
 
=== 記録 ===