「保倉幸恵」の版間の差分

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==来歴・人物==
[[劇団若草]]出身。幼い頃から舞台女優として活躍しており、1960年代から1970年代にかけて「[[週刊マーガレット]]」、「[[女学生の友]]」、「[[少女フレンド]]」などの少女雑誌に少女モデルとして頻繁に登場していたほか、[[週刊朝日]]でも1970年1月2日発売号から1971年12月31日発売号までカバーガールを務めた。その後、[[週刊朝日]]には、「幸恵のミニ・アドバイス」という買い物情報を織り交ぜたエッセイを不定期連載し、1975年3月まで続いた。若草時代の同期生に女優の[[桃井かおり]]がいる。少女を中心に高い人気を得るが、その後モデル業を引退。
 
1971年3月に[[学校法人玉川学園|玉川学園高等部]]を卒業。[[ジョン・レノン]]の大ファンで、高校卒業時のレポートのテーマはジョン・レノンだったと言う<ref>評論家の[[川本三郎]]は自身の著書「[[マイ・バック・ページ]]」のコラム「幸福に恵まれた女の子の死」で保倉の生い立ちや日常、最期について触れており、「玉川学園高校を卒業するときに提出した彼女のレポートのテーマはジョン・レノンだったという。あのジョン・レノンの無惨な死を知らずにすんだことだけは彼女にとって唯一の幸福かもしれない」と記している。また、川本は週刊朝日の記者時代に仕事を通じて保倉と親しくなり、生前はよく一緒に映画などに行っていたと言う。</ref>。