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幕末には、[[佐賀藩]]、[[加賀藩|金沢藩]]、[[山口藩]]、[[中津藩]]、[[薩摩藩]]、[[佐倉藩]]等の一部の藩校は、[[国学]]・[[漢学]]に止まらず、医学、化学、物理学、西洋兵学等の学寮を併設する事実上の[[総合大学]]にまで発展していた。しかし、[[明治維新]]後は学制改革の中で廃止された藩校も多く、生き残った藩校は[[旧制中学校]]に留まるものが大半であった。
 
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/202/index.html
 
 
> 旧藩校は、通常、明治4年の廃藩置県で廃止になっている。文部省はそこで同
>年11月、旧藩所蔵の文書や古器の目録を提出させている。
 
[[1886年]]([[明治]]19年)中学校令の公布とともに、[[東京大学予備門]]が廃止され、全国に文部大臣の管理に属する七校の官立[[高等中学校]](後に[[旧制高等学校|(旧制)高等学校]]と改称)が開設された。各高等中学校のうち、山口、鹿児島、金沢(第四)の本部(本科)、および岡山(第三)、仙台(第二)、金沢(第四)の医学部は、旧[[藩校]] (山口[[明倫館]]、鹿児島[[造士館]]、金沢[[明倫堂]])や、藩医学校(岡山医学館、仙台[[明倫養賢堂]]、金沢医学館)の流れを汲むものであった。これらの旧藩校の後進諸校は、その後(改組・中絶・再興等を経て)大学にまで発展することになる。なお、旧制(尋常)中学校に留められたその他の旧藩校は、現在では新制[[高等学校]]として存続しているものが大半である。