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射法訓 (会話 | 投稿記録)
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* 品川区立旗の台小学校・品川区立荏原第5中学校卒業。
* 中学卒業後[[駒澤大学高等学校]]に進学し、卒業。
** [[仏教]]を愛好していたため同高校に進学した。
* [[1969年]] 東京コカ・コーラボトリングに入社。
* [[1981年]] 転職。自由民主党[[神奈川県]]支部連合会に入会。自民党神奈川県連の事務職員となる。
* [[1986年]] 自民党神奈川県連事務局長に就任。自民党の全国最年少事務局長となり、党内で話題に。
* [[2005年]]9月 [[第44回衆議院議員総選挙]]に[[比例南関東ブロック]]から自民党名簿順位第36位で立候補し初当選。
** 南関東ブロック比例区の名簿に「数合わせ」のため氏名を登載したが、想定外の自民党大勝により当選。困惑していたところ、神奈川県連所属の首相・[[小泉純一郎]]から「辞退しないように」との命令をうけ、衆議院議員となる。以後、神奈川県連事務局長を退職し、[[国会 (日本)|国会]]活動に専念する。
** 同選挙で初当選した自民党の新人83人の新人議員によって構成された[[83会]]に所属。
** 同期当選の[[には、猪口邦子・杉村太蔵]]・なと゜話題教育係を務め新人がいる。杉村にはよく叱るという相談を受けた
** [[派閥]]には属していない。当初は初当選した他の無派閥新人議員とともに「無派閥新人議員の会」(代表幹事:[[小野次郎 (政治家)|小野次郎]]、37人)に所属していた。
** [[国会議員]]となったが、元々神奈川県連の事務方のため、[[政党]]の務・経理選挙に精通している。
* [[2006年]]9月 [[自由民主党総裁選挙]]に際し、[[麻生太郎]]を支持。
** 「無派閥新人議員の会」において「[[安倍晋三]]候補支持の方向で会としてまとまった行動を取る」との方針を示した代表幹事の小野次郎らに対し、「この会は派閥ではない。そのような方針を立てることは会の趣旨と違うのではないか。各議員の考えを尊重すべきだ」と反発。同会を退会した。