「ミキ・ビアシオン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m ボット: 言語間リンク 17 件をウィキデータ上の (d:Q433162 に転記)
40行目:
*ランチアからフォードに移籍してきた直後の1992年にテストしたシエラ・コスワースを「人糞の積み重なり」と形容した。
 
*サインツ、オリオールと並んでマシン開発能力に秀でていたが、フォード時代はチーフ・エンジニアのフィリップ・ドゥナビンとの確執から、思うようなマシンの改良はおろか、セットアップも出来ずに走ることが多く、もし、ビアジオンの意向に沿ったセットアップがマシンに施されていたら、さらに活躍できたとの声も多い。ちなみにこのドゥナビンは人嫌いで閉鎖的な性格で有名で、自分の意に沿わないドライバーを遠ざけることが多々あったようだ。ちなみにドゥナビンは後にフォードに移籍しマシン開発に対して積極的かつ綿密な作業を行うことで有名なサインツとも対立している。
 
*イタリアでは唯一の世界チャンピオンである彼は特別の存在である。スバルやセアトで活躍した[[ピエロ・リアッティ]]や、三菱で活躍した[[ジャン・ルイジ・ガリ]]は彼に対し、今でも尊敬の念を抱いている。