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{{特筆性|人物|date=2014年3月1日 (土) 04:17 (UTC)}}
'''有門 勇人'''(ありかど はやと、本名:同じ、[[1973年]][[1月25日]] - )は、[[神奈川県]][[横浜市]][[金沢区]]出身で[[立浪部屋]]所属の元[[大相撲力士]]。身長173cm174cm・体重133kg159kg。最高位は西序二段95枚目([[1992年]]11月場所)
 
== 人物経歴 ==
[[1988年]]9月場所初土俵を踏む。翌場所[[序ノ口]]に初めて[[番付]]に載るがって以降負け越しに終わる。[[1989年]]5月が続き、序ノ口初在位から23場所では連続負け越し続きだの珍記録を作たが[[序二段]]に昇進まった。この間、1989年・1991年・1992年の5月場所7戦全敗に終わった。そ前場所後も負け越しが続いたが、[[1992年前相撲]]9月所西序ノ口40枚目人数との兼ね合い初土俵から24場所目で初めて勝ち、負け越した(6勝1敗)。翌場所自己最高位となる西にもかかわらず序二段95枚目に昇進したがここでも7戦全敗を喫した。その後も相撲を取り続け[[1997年]]5月場所限りで引退した。
西序ノ口40枚目の地位で臨んだ[[1992年]]9月場所で初土俵から24場所目で初めて勝ち越し、最終的に力士人生唯一となる6勝1敗の好成績を修めた。翌場所は自己最高位となる西序二段95枚目に昇進したが7戦全敗を喫した。その後は3場所ないし4場所に1回勝ち越すペースの成績を続け、[[1997年]]5月場所限りで引退、最終場所は東序ノ口22枚目で4勝3敗として、9回目の勝ち越しで締め括った。
 
== エピソード ==
* 上述の経歴もあり、相撲記者の間では有名人とされ、同様の経歴を持つ[[志免錦金五郎]]との取り組みが行われる日は、序ノ口の対戦とは思えない程の報道記者が集結したとされる。
* 女性ファンも多く、序ノ口の土俵で黄色い声援を受けることも多かった。
* 初土俵から引退まで改名歴はなく、9年間本名を[[四股名]]とし続けた。
* 声が[[松村邦洋]]に似ている旨を、『VAN_VAN_相撲界』([[ベースボールマガジン社]])の読者に投稿されたことがある。
* 1996年に発行された『大相撲全力士名鑑』(ベースボールマガジン社)において'''「負けてはいけないと緊張するので、弱い力士と対戦したい。」'''とコメントした。
* 実父が長男である勇人を力士にしたいということを知り、その期待に応える形で入門した。
* 初土俵の場所に足を負傷し、新序出世披露に参加できず、最終的に関取の地位を経験せず引退したため、現役中に[[化粧廻し]]姿を披露することはなかった。
* 上述の志免錦金五郎が2011年6月30日に死去した際は、約2ヶ月後の2011年8月28日に上野精養軒において行われた「偲ぶ会」に駆け付けた。
 
== 戦績 ==