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オスマン帝国の人々は狭苦しい市街に留まらず郊外地区に宮殿や別荘を盛んに造営した。[[エディルネ宮殿]]は市街の西を流れるトゥンジャ川の西岸に造営され、イスタンブルの[[トプカプ宮殿]]に次ぐ壮麗な規模を誇ったが、度重なる戦乱で破壊され現在では一本の塔と若干の廃墟が残るのみの、牧草地となっている。エディルネ宮殿跡の東を流れるトゥンジャ川の中洲はクルクプナルの野と呼ばれ、オスマン帝国時代以来、トルコの伝統[[格闘技]]である[[ヤールギュレシ]](オイルレスリング)の会場となっている。
 
同じくトゥンジャ川の西岸には、メフメト2世の子[[バヤズィト2世]]が作ったモスク複合施設がある。オスマン帝国はこれら川向こうの施設と市街地をつなぐために多くの現存する石造りの橋がつくったが、なかでも町の南の[[カラアガチ]]地区や[[ギリシャ]]国境検問所との間を結ぶ、メリチ川にかかるメリチ橋はミマール・スィナンの作品として有名である。また、カラアガチ地区には、[[オリエント急行]]開業当時にオスマン帝国側国境駅として開設された[[カラアガチ駅]]の旧駅舎がトラキア大学の一部として残存している。
 
またエディルネはバルカン戦争の激戦地であることから、戦争を記念する軍事遺跡やモニュメントが数多くある。