「アンダースロー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
23行目:
その後、アンダースローは[[1882年]]に[[サイドスロー|サイドハンドピッチ]]が、[[1884年]]に[[オーバースロー|オーバーハンドピッチ]]がそれぞれ更なる投球ルール改正によって解禁されるまでは主流の投法であった<ref name="T2"/>。また、野球の球種の内、カーブ、[[チェンジアップ]]を初めて投げたのはアンダースロー投手(カーブは[[キャンディ・カミングス]]、チェンジアップは[[ハリー・ライト]])である<ref name="Uchida"/>。
 
日本に野球が伝来したのは投球ルール改正前の[[1871年]]、[[お雇い外国人]]の[[ホーレス・ウィルソン]]によってである<ref>佐山 (2003, pp.71 - 75)</ref>。さらに[[1908年]][[11月22日]]に行われた[[メジャーリーグベースボール]]選抜チーム対[[早稲田大学野球部]]の試合で[[始球式]]を行った[[大隈重信]]の投球はアンダースローであった<ref>佐山 (2005, p.27)</ref>。NPBにおいて最初に活躍したアンダースロー投手は[[1936年]]に[[オリックス・バファローズ|阪急軍]]に入団した[[重松通雄]]である。重松と[[1949年]]に[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]に入団した[[武末悉昌]]には共に「アンダースローの元祖」という渾名が付いている。
 
前述の通り1920年にカール・メイズが死球による死亡事故を起こすと、アメリカ合衆国ではアンダースローは危険な投法であるという認識が広がり、アンダースロー投手は減少していった<ref>高崎 (p.2)</ref>。[[1972年]](日本では[[1976年]])に、[[スピードガン]]が野球界に導入され始めると、投手の投球術よりも球速が注目されるようになり<ref>Posnanski, Joe,''"You can't always judge a pitcher by his fastball"'' "The Kansas City Star", July 15, 2007.[http://www.drmikemarshall.com/2007KansasCityStar2.html]</ref>、球速の出にくいアンダースロー投法を採用する投手の減少傾向がより進んだ<ref name="BD">Doyle (2000, p.54) </ref>。