「総合格闘技」の版間の差分

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=== 柔道 ===
総合格闘技の普及に大きな影響を与えたグレイシー柔術は、講道館柔道の[[前田光世]]がブラジルに伝えた技術が源流となっている。柔道家の[[木村政彦]]は、1951年10月23日にエリオ・グレイシーに勝利しており、柔道はUFC以前に唯一グレイシー柔術に勝利を収めた格闘技として評価を高めた。[[レムコ・パドゥール]]が柔道家として初めてUFCに参戦したが、[[UFC 2]]でホイス・グレイシーに敗北している。Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立で[[吉田秀彦]]がホイス・グレイシーに[[袖車絞め]]で勝利し、総合ルールでドン・フライや田村潔司という強豪に勝利し、ヴァンダレイ・シウバとも善戦して評価を高めた。柔道元世界王者の[[小川直也]]も「PRIDE GP」の2004年大会に出場。[[ステファン・レコ]]と[[ジャイアント・シルバ]]に勝利を収めた。柔道金メダリストの[[石井慧]]がサイドポジションをとっても、[[ジェロム・レ・バンナ]]を極め切れなかったように、柔道家はマウントやサイドからの絞めや関節を苦手としているケースもある。柔道はマウントやサイドをとったら押え込みが成立するため、そこから絞めや関節を仕掛ける戦術的意味が少ないことが、その一因と考えられる。柔道の試合で絞めや関節が極まるときは、マウントやサイド以外の状態から仕掛けた場合が多いが、[[内柴正人]]が北京五輪決勝戦で縦四方固めから肘間接を極めて一本勝ちをしたケースや、[[中村兼三]]がシドニー五輪3回戦で上四方固めからの三角絞めで一本勝ちしたケースもある。また、[[瀧本誠]]は田村潔司に、吉田秀彦はミルコ・クロコップにローキックで攻められて対応できず、柔道のローキックの対処の弱さも見られた。古流柔術から別れたばかりの初期の柔道は当身も存在したが、次第に国際化を目指して、より多くの人々が学べるようルールの整備、安全化が進められた。また、総合格闘技が日本で広まり始めた頃は柔道から総合格闘技へ転向する例も多くはかったが、現在は[[IGF]]ヘビー級王者の[[石井慧]][[修斗]]世界ウェルター級王者の[[弘中邦佳]][[パンクラス]]・ウェルター級王者の[[佐藤豪則]][[DEEP (格闘技団体)|DEEP]]メガトン級王者の長谷川賢、[[DEEP]]ライトヘビー級王者の[[中西良行]]、[[DEEP]]ミドル級王者の[[中村和裕]]など、主要国内団体の重量級王者の多くを柔道出身者が占めている。世界最高のMMA団体[[UFC]]においてアジア人史上最高の戦績を残した[[岡見勇信]]も柔道出身であり、総合格闘技を始めるにあたり拓殖大学柔道部出身の[[西良典]]が創設した[[和術慧舟會]]に所属した。最近では、女子総合格闘技で世界最強の呼び声高い[[UFC]]女子世界バンタム級王者[[ロンダ・ラウジー]]のように、日本以においても柔道家から総合格闘技へ転向する例が増えている。
 
=== サンボ ===