「稲荷山古墳出土鉄剣」の版間の差分

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江田船山古墳鉄刀の銘文は、かつては「治天下犭复□□□歯大王」と読み、多遅比弥都歯大王(日本書紀)または水歯大王(古事記)([[反正天皇]])にあてる説が有力であったが、この稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣が発見されたことにより、「治天下獲□□□鹵大王」 と読み、獲加多支鹵大王(ワカタケル大王、雄略天皇)とする説が有力となった。遅くとも5世紀後半には、雄略天皇統治による大和の権力が九州~北関東まで及んでいたことになる。
 
== 金象嵌の材質 ==
2000年と翌2001年にかけて行われた、金象嵌の材質調査([[蛍光X線]]分析)によって、象嵌に使われている金には、銀の含有量が少ないもの(10%ほど)と多いもの(30%ほど)の2種類あることが判明した。その2種類の金は、表は35字目、裏は47字目から下の柄側には銀の含有量が少ないもの、切先側には銀の含有量が多いものが使われている。2種類の純度の違う(結果として輝きの異なる)金を鉄剣銘文の上下で使い分けた理由は不明である。<ref>[http://www.tobunken.go.jp/~ccr/pdf/42/pdf/04201.pdf 早川泰弘・三浦定俊「埼玉稲荷山古墳出土金錯銘鉄剣の金象嵌銘文の蛍光X線分析」 『保存科学』第42号、2003年]</ref>
== 考証 ==
=== 年代 ===