「山田わか」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
12行目:
*[[1931年]](昭和6年)5月から[[東京朝日新聞]]家庭面の女性相談欄を担当。評論活動を開始。[[1932年]](昭和7年)[[3月30日]]付紙面に掲載された「家に押し入ってきた強盗によって妊娠させられてしまった女性」からの相談に対して、「子供を生んで育てるように」と回答し、大きな反響を呼び起こした。
*[[主婦の友社]]社長[[石川武美]]の要請を受け、同社顧問となる。1937年(昭和12年)に遣米婦人使節として渡[[アメリカ合衆国|米]]。[[1941年]](昭和16年)3月には親善使節としてドイツ及びイタリアを訪問した。
*[[19471935年]](昭和2210年)売春婦母性保護運動推進更生施設として[[幡ヶ谷女子学園]]ため、財団法人「母護るの会」を創立したする
*[[1947年]](昭和22年)東京都の要請により、施設の機能を転換し都条例に基づく婦人更生施設[[幡ヶ谷女子学園]]の事業を開始する。
 
*[[1957年]](昭和32年)売春防止法の施行により、若年女子の転落未然防止活動としての女子の保護更生事業へと事業を進める。
*[[1974年]](昭和49年)婦人保護施設「幡ヶ谷女子学園」の事業を廃止し、都の要請により児童福祉施設に転換する。(主に高校生を処遇する養護施設「児童養護施設 若草寮」として事業を開始する。事業内容の変更に伴い法人名を「社会福祉法人わかくさ会」に変更しする。 
== 著書 ==
*『女・人・母』 山田わか著、森江書店、1919。
38 ⟶ 40行目:
*『婦人と新社會』全7巻、山田わか編、五味百合子監修・解説、クレス出版、1993。
**<small>山田わか主筆、夫の山田嘉吉が編集発行人となり、 1920年(大正9)3月より1933(昭和8)7月の160号まで刊行された山田わかの個人的評論誌の復刻版。</small>
*『あめゆきさんの歌』山崎朋子著、文藝春秋出版、1980。
 
== 関連項目 ==
46 ⟶ 49行目:
== 外部リンク ==
*[http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/Y/yamada_wa.html 山田わか・明治・大正・昭和期の婦人問題評論家]([http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/index.html 歴史が眠る多磨霊園])
*[http://www.wakakusaryo.or.jp/torikumi.html社会福祉法人わかくさ会
 
{{DEFAULTSORT:やまた わか}}
[[Category:日本の思想家]]