「東アジア反日武装戦線」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
113行目:
 
== 模倣犯などその後の動き ==
*[[1970年代]]後半以降、[[北海道庁爆破事件]]や[[神社本庁爆破事件]]といった「東アジア反日武装戦線」の同調者ないし後継者を称する爆弾闘争が引き起こされたこともあるが、内実が全くないにもかかわらず「東アジア反日武装戦線」を騙り、脅迫行為に及んだ事例もある。例えば、一斉逮捕前の[[1975年]]3月に[[東京都]][[立川市]]で、小学4年生が誕生日会のいたずらで110番に爆破予告の電話をし、仲間の小学1年生が「丸の内のオオカミ」と名乗り、逆探知で捕まった事件のような、過熱報道が生み出したと思われるようなものもあった<ref>朝日新聞1975年3月8日東京本社朝刊</ref>。
 
*[[1985年]]3月末に[[日本国有鉄道|国鉄]](当時)[[横浜駅]]近くの複数の大型[[スーパーマーケット]]に「プラスチック爆弾で店を爆破する-東アジア反日武装戦線」といった内容の脅迫状が店内で置かれる事件が発生した。一連の事件では40通置かれたり脅迫電話があったが金銭を要求するものもあった。警察が警戒していたところ3月30日に[[マイカル#過去運営されていた業態|ニチイ]]横浜店(当時)の階段や便所に脅迫文を置いていた横浜市緑区在住の男子中学3年生を現行犯逮捕した。動機は当時社会で問題になっていた[[グリコ・森永事件]]の企業連続脅迫事件に触発され、金銭をゆすり取りとろうとしたものであったが、図書館で知った「東アジア反日武装戦線」の手口もまた模倣したものだという<ref>朝日新聞1985年3月31日東京本社朝刊</ref>。