「朴正煕」の版間の差分

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Baalcy korbo (会話 | 投稿記録)
m 加筆お疲れ様です。私の参照した資料の範囲では見つからなかった記述で、出典が気になるので{{要出典}}を追加致します。
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===== 金大中拉致事件 =====
{{Main|金大中事件}}
1972年10月の[[十月維新|維新クーデター]]後、政治的な[[スローガン]]として「維新体制」を標榜した。「維新体制」の下で権力基盤を強化した朴正煕は自らを脅かす者に対しては、政敵ばかりか与党の有力者であっても退け、独裁体制を維持し続けていた。[[1971年大韓民国大統領選挙]]ともに立候補者となった政敵[[金大中]]に対しては、[[東京]]の[[ホテルグランドパレス]]に滞在していた[[1973年]][[8月8日]]に[[大韓民国中央情報部]](KCIA)による[[金大中事件|金大中拉致事件]]を引き起こし、日本の[[保守]]勢力は日本国に対する[[主権]]侵害だと朴正煕政権を批判した<ref>[[#池(2002a)|池(2002a:113-114)]]</ref>。ただしKCIAの関与についての追及では[[自民党]]内では、[[中川一郎]]等保守色の強い議員は否定的な見解を示し、[[宇都宮徳馬]]等の左派議員は肯定的な見解を示している。両者は番組で激論を交わし、つかみ合い寸前の所まで行った。金大中拉致事件によって悪化した[[日韓関係]]は朴正煕大統領と[[田中角栄]]総理大臣の間の政治的決着によって決着したが、[[日本のマスメディア]]はその後の金大中収監に対して朴正煕政権批判を重ね、朴正煕の「維新体制」はこの金大中拉致事件によって国際的に孤立し始めた<ref>[[#池(2002c)|池(2002c:218-220)]]</ref>。なお、この日本側からの金大中拉致事件に際する「主権侵害」の声に対し、KCIAの[[李厚洛]]部長は日本による[[韓国併合]]こそが主権侵害だと反批判している<ref>[[#池(2002a)|池(2002a:114)]]</ref>。また、この金大中拉致事件に際し、[[朝鮮民主主義人民共和国]]は[[朝鮮統一問題]]の北側からの対話中断の意志を南側の大韓民国に伝えている<ref>[[#林(1991)|林(1991:126-128]]</ref>。
 
===== 文世光事件 =====
{{Main|文世光事件}}
[[1974年]][[8月15日]]、[[日本統治時代の朝鮮|日本統治]]から解放されたことを記念する[[光復節 (韓国)|光復節]]の祝賀行儀に参加した際、[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]]・[[文世光]]に銃撃され、朴正煕自身は無事だったものの、夫人の[[陸英修]]が頭部を撃たれて死亡した([[文世光事件]])。なお、この際に用いられた[[拳銃]]が、文世光が[[日本の警察官]]を襲撃し強奪したものであったことや、事件に関与したと見られる[[在日本朝鮮人総聯合会|朝鮮総連]]を、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の一部や[[日本社会党]]などから圧力を受けた日本政府及び警察側が擁護し続けたこともあり、日韓両国の政治問題へと発展した。またこの事件は日本のマスメディアによる金大中拉致事件批判によって悪化していた大韓民国の世論を更に対日強硬的なものとし、[[在大韓民国日本国大使館|在韓日本大使館]]にて韓国人群衆によって[[日章旗]]が焼き払われるなど、日韓関係をより悪化させることになった<ref>[[#池(2002a)|池(2002a:115)]]</ref>。{{要出典範囲|date=2014年6月|ただしこのデモは[[金大中事件]]による国内の混乱や[[朴正煕]]に対する批判を交わすための[[官製]]デモだったという説が日韓の左派勢力の一部等で唱えられている}}
 
金大中拉致事件のみならず、「[[国家保安法 (大韓民国)]]」や「[[反共法]]」などの法令による反政府勢力に対する強権的な弾圧は「維新体制」期には苛烈を極めた。[[共産主義|共産主義者]]ないし「[[対南工作|北朝鮮のスパイ]]」摘発に名を借りた不法な[[拷問]]・[[冤罪]]事件は枚挙に暇がない。その内、[[大韓民国中央情報部]](KCIA)による[[1975年]][[11月22日]]の「[[学園浸透スパイ団事件]]」は同時代の日本でも大きく報道された<ref group="註釈">「[[学園浸透スパイ団事件]]」はソウルに留学していた在日韓国人・[[徐勝]]と[[徐俊植]]の兄弟が首謀者とされたことや、徐勝が顔から半身に火傷を負った姿で法廷に現れたことなどから、日本で騒がれた。特に火傷は拷問によるものだと信じられた(のちに火傷を負ったのは拷問中に苦痛に耐え切れず自殺を図ったためと判明)。日本では徐兄弟の救援運動が展開され、徐勝・徐俊植『獄中からの手紙』([[岩波新書]] ISBN 4-00-420163-2)はベストセラーになった。また、徐勝は実際に北朝鮮の工作船で同国に密かに入国、実際に工作員として教育を受けていたことが現在では明らかになっている。</ref>。