「観応の擾乱」の版間の差分

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正平9年/文和3年([[1354年]])5月には、桃井直常、山名時氏、[[大内弘世]]ら旧直義派の武将を糾合すると直冬は石見から上京を開始する。正平10年/文和4年([[1355年]])1月には南朝と結んで京都を奪還する。しかし[[神南の戦い]]で主力の一角山名勢が導誉、則祐を指揮下に入れる義詮に徹底的に打ち破られ崩壊する。直冬は東寺に拠って戦闘を継続したが、義詮は奮戦し徐々に追い詰められてゆく。そして最後には尊氏が自ら率いる軍が東寺に突撃し直冬は撃破され敗走した。尊氏は東寺の本陣に突入したあと自ら首実検をして直冬を討ち取れたか確認しており、尊氏の直冬への憎悪の程が推察される。
 
直冬勢は結局このまま完全に崩壊し、直冬は西国で以後20年以上逼塞することになり、消息は明確でない。なお、大内弘世と山名時氏は貞治2年/正平18年/貞治2年([[1363年]])には幕府に帰順している。
 
== 影響 ==