「日肥線」の版間の差分

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本路線は、第二次世界大戦中の[[1944年]]に、妻と湯前を結ぶ貨物自動車路線として運行が開始された'''米良線'''が前身となる。[[1945年]][[12月1日]]に妻自動車区の開設と同時に旅客輸送も開始された。[[1950年]]に自動車営業所に組織変更され、[[1952年]]には戦後の機動輸送に対応して設立された人吉自動車営業所を妻自動車営業所人吉支所とした。同年7月には湯前 - 人吉間を開業、この時に路線名を'''日肥線'''に改称している。
 
改正[[鉄道敷設法]]別表第122号には「熊本湯前ヨリ宮崎杉安ニ至ル道」の記述があり、本路線は[[くま川鉄道湯前線|湯前線]]と[[妻線]]を結ぶ'''鉄道線の先行'''という使命を有していた。また、妻自動車営業所は九州内の国鉄自動車営業所では2番目に営業キロ総延長が長い自動車営業所<ref name="rj88">『鉄道ジャーナル』1984年6月号 p88</ref>であり、路線整理が進んだ[[1984年]]時点においても路線総延長は233.2kmに達していた<ref name="rj88"/>。
 
しかし、[[モータリゼーション]]が進むと利用者数が減少することになった。特に本路線では、両端の都市部が[[九州産業交通]]と[[宮崎交通]]の営業エリアであり、国鉄バスとしては沿線人口が少ない地域の路線しか運行していなかった<ref name="rj90">『鉄道ジャーナル』1984年6月号 p90</ref>。さらに、沿線に高等学校が存在しなかったため、ローカル路線において主たる利用者となる通学利用も少なかった<ref name="rj90"/>。このため、管内の路線では合理化が進められ、[[1976年]]8月には人吉支所と湯前在勤を統合して湯前支所としたほか、[[1980年]][[6月10日]]には全路線の[[ワンマン運転|ワンマン化]]を行った。