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| 主な作品 = 『[[トラック野郎]]』シリーズ
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'''鈴木 則文'''(すずき のりぶみ、[[1933年]][[11月26日]] - [[2014年]][[5月15日]])は、[[日本]]の[[映画監督]]・[[脚本家]]である。[[静岡県]]出身。愛称は'''コーブン'''、'''コーブンさん'''<ref>中島貞夫『映像のスリット わが映画人生』芸艸堂、1987年、p.146</ref><ref>山下耕作、円尾敏郎『将軍と呼ばれた男 映画監督山下耕作』ワイズ出版、1999年、p.107</ref><ref>鈴木則文『トラック野郎風雲録』図書刊行会、2010年、p.232</ref>。代表作は『[[緋牡丹博徒]]』シリーズ (脚本)、『[[トラック野郎]]』シリーズ (監督) など
 
代表作は『[[緋牡丹博徒]]』シリーズ (脚本)、『[[トラック野郎]]』シリーズ (監督) など。
 
== 来歴 ==
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== 人物 ==
撮影所で座右ニックネームは「コーブン」「コーブンさん下品こそ この世の花」<ref name="鈴木義昭">中島貞夫鈴木義昭映像のスリット わが昭和桃色映画人生』芸艸堂館 まぼろしの女優1987年伝説の性豪p.146</ref><ref>山下耕作、円尾敏郎『将軍と呼ばれ闇の中の活動屋男 映画監督山下耕作ワイズ出版、1999年、p.107</ref><ref>鈴木則文『トラック野郎風雲録』図書刊行評論社20102011年、p.232250</ref>。東映プロデューサーの天尾完次とは盟友関係で、天尾が[[東映京都撮影所]]から[[東映東京撮影所]]へ異動した際には、鈴木も帯同した<ref>関本郁夫『映画人烈伝』青心社、1980年、pp.149-153</ref><ref>鈴木則文、宮崎靖男、小川晋編著『別冊映画秘宝 映画「トラック野郎」大全集』洋泉社、2010年、p.38</ref>。監督としても脚本家としても映画界に記したと同時に裏方に徹し、ファンからサインを求められても「俺は裏方だから」「そんな器ではない」とほとんど断り、「俺は照明をまんべんなく当てて影を作らないんだ。その方がバカに見えるだろ?」「ピントは奥まで全部合わせるんだ。そうすると画面に奥行きがなくてバカに見えるだろ?」「今までに、政治が、文学が、弱い人の味方をしたことがあったか!?だからせめて映画ぐらいは弱い者の味方であってもいいじゃないか、なんて言ったら格好つけすぎかな」とも語っている
 
監督としても脚本家としても映画界に記したと同時に裏方に徹し、ファンからサインを求められても「俺は裏方だから」「そんな器ではない」とほとんど断り、「俺は照明をまんべんなく当てて影を作らないんだ。その方がバカに見えるだろ?」「ピントは奥まで全部合わせるんだ。そうすると画面に奥行きがなくてバカに見えるだろ?」「今までに、政治が、文学が、弱い人の味方をしたことがあったか!?だからせめて映画ぐらいは弱い者の味方であってもいいじゃないか、なんて言ったら格好つけすぎかな」とも語っている。
 
座右の銘は「下品こそ この世の花」<ref name="鈴木義昭">鈴木義昭『昭和桃色映画館 まぼろしの女優、伝説の性豪、闇の中の活動屋たち』社会評論社、2011年、p.250</ref>
 
[[九州弁]]を喋る女を偏愛し、自らが生みだしたキャラクターである『緋牡丹博徒』シリーズや『トラック野郎』に登場するモナリザお京が九州生まれなのはその反映である<ref>日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、p.70</ref><ref>鈴木則文『トラック野郎風雲録』図書刊行会、2010年、p.72</ref>。喜劇役者の[[由利徹]]ファンでもあり、『トラック野郎』シリーズには全作出演してもらった他、その他の作品にも出演しており、鈴木作品の最多出演者である<ref name="鈴木義昭" /><ref>鈴木則文『トラック野郎風雲録』図書刊行会、2010年、pp.96-97</ref>。