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{{画像提供依頼|江戸時代の素襖|date=2012年1月|cat=被服}}
[[File:Hasano.jpg|thumb|200px|浅井久政像
'''素襖'''(すおう)とは[[日本]]の男性用の[[着物]]の一種。また素襖は素袍と表記されることもある。▼
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{{small|[[
==概要==
▲[[File:Hasano.jpg | thumb | right | 220px |素襖を着る浅井久政像 |[[浅井久政]]像 <small>1569年(永禄12年)玄申性洞賛([[持明院]]蔵)</small><br />戦国時代の素襖の着用例。像主の存命中に描かれた寿像。典型的な素襖の描写がなされている。<ref>{{Cite book|和書 |author = [[丸山伸彦]] |year = 1994 |title = 日本の美術第340号 武家の服飾 |publisher = [[至文堂]] |page = 42 |isbn = 9784784333400}}</ref>]]
[[鎌倉時代]]以
形状
▲[[鎌倉時代]]以来、[[礼服]]化していった[[直垂]]の中でも簡素な古様なものを[[室町時代]]には素襖と呼んだ。始めは下級[[武士]]や庶民の普段着であったが、室町時代末期には[[大紋]]に次ぐ礼装となる。
[[江戸時代]]に
▲形状の最も大きな特徴としては直垂と大紋は[[袴]]の腰紐が白布であるのに対し、素襖のそれは共裂であることが挙げられる。また、袖に通す括り紐や露が省略され、胸紐、小露(袖や胸の飾り紐)は[[革]]製であった。そのため「革緒の直垂」とも呼ばれる。
材質は室町時代までは[[麻織物]]が主流だった。特に越後縮(えちご ちぢみ)を染めたて作った素襖は風通しがよく、初夏の頃に重宝された。中が透けるようだったのでこれを'''透素襖'''(すきすおう、すかしすおう)といった。これが江戸時代になると[[木綿]]の[[晒]]で作った物に限られるようになった。
▲[[江戸時代]]には素襖が[[江戸幕府]]の服制によって、無位無官の[[旗本]]の礼装と定められた。すなわち[[元和 (日本)|元和]]元年([[1615年]])の服制の定めにより、[[従五位|従五位下]]([[諸大夫]])の礼装は[[大紋]]を着用、また無位無官だが幕府より[[布衣]]の着用を許された旗本は布衣を礼装とし[[従六位|六位]]相当とされた。そして布衣の着用を許されない旗本は素襖を着することが定められた。
▲材質は[[晒]]に限定され、[[家紋]]を背中、両胸、袖、袴の腰板と左右の相引下、合計8カ所に入れた。通常は引きずるほどの長い袴を着用したが、直垂、大紋に無い着用法として「半袴」というくるぶしまでの袴を着用することもあり、この場合は「'''小素襖'''」と言われる。
==舞台芸能==
▲現在では祭礼時に奉仕者が着用していたり、[[能]]、[[狂言]]の衣装として簡略化された物が見られる程度である。<br>
素襖が物語の鍵となっている舞台芸能に、狂言の『'''素袍落'''』(すおうおとし)と[[歌舞伎舞踊]]の『'''襖落那須語'''』(すおうおとし なすものがたり、通称「'''素襖落'''」)がある。
伊勢参りをすることにした主人が、以前から話を持ちかけていた伯父を誘うために太郎冠者を遣わす。しかしいかにも急なことで伯父は無理だという。そして気が引けたのか、自分が行けないのなら太郎冠者が代わりにお供をすることになるのだろうと察した伯父は、太郎冠者に門出の酒をふるまい、祝儀に素袍を与える。思いがけないご祝儀に感動した太郎冠者は、主人への不満をぶちまけながら伯父のことを持ち上げて、やがてすっかり上機嫌になって帰途につく。しかし自分が主人のお供で伊勢参りなどありえるはずもなく、主人にはせっかく餞別に貰った素袍の説明がつかない。そこで素袍惜しさに太郎冠者はこれを主人に見つからないよう隠すのだが、まだ一杯機嫌の太郎冠者は帰路にもはしゃぎすぎてこれを落としてしまった挙句、それを主人に拾われてしまう……。
== 脚注 ==▼
この狂言『素袍落』を下敷きに、明治になって[[福地桜痴]]が作詞し、[[杵屋正次郎|三代目杵屋正次郎]]が[[長唄]]、[[鶴澤安太郎]]が[[義太夫]]を作曲して[[歌舞伎舞踊]]化したのが『襖落那須語』、通称「素襖落」である。桜痴は原作の伯父を姫御寮に替え、他にも登場人物を増やして振りをつけ舞台を賑やかにしつつ、太郎冠者の酔態を能の『[[那須之語]]』に巧みに絡ませることによって引き立て、全体として明るい[[松羽目物]]の舞踊劇に仕立て上げた。明治25年(1892年)東京[[歌舞伎座]]初演。太郎冠者をつとめた[[市川團十郎 (9代目)|九代目川團十郎]]が好んだ演目で、後にかれはこれを「[[新歌舞伎十八番]]」の一つに数えている。
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==参考文献==
*[http://kotobank.jp/word/%E6%89%93%E6%8E%9B%E7%B4%A0%E8%A2%8D 「打掛素袍」]、[http://kotobank.jp/word/%E9%80%8F%E7%B4%A0%E8%A5%96 「透素袍」] (kotobank.jp)
*[http://kotobank.jp/word/%E7%B4%A0%E8%A2%8D%E8%90%BD%28%E7%B4%A0%E8%A5%96%E8%90%BD%29?dic=sekaidaihyakka&oid=00209122 「素袍落(素襖落)」]、[http://kotobank.jp/word/%E3%80%8A%E8%A5%96%E8%90%BD%E9%82%A3%E9%A0%88%E8%AA%9E%E3%80%8B 「襖落那須語」]、[http://kotobank.jp/word/%E9%82%A3%E9%A0%88%E4%B9%8B%E8%AA%9E 「那須之語」] (kotobank.jp)
== 関連項目 ==
* [[衣冠]]
* [[裃]]
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* [http://www.iz2.or.jp/fukusyoku/kosode/images/119-a.gif 江戸時代の素襖]
* [http://longlife.city.hikone.shiga.jp/museum/past/theme/15nendo/0401_2/03.jpg 能衣装の素襖]
{{DEFAULTSORT:すおう}}
[[Category:和服]]
[[Category:武士]]
[[Category:歌舞伎の演目]]
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