「ブロニスラフ・フーベルマン」の版間の差分

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==総評==
フーベルマンのヴァイオリン演奏は当時の並み居るヴァイオリニストの中でも特に個性的なもので、[[カール・フレッシュ]]らの正統派ヴァイオリニストから異端視されてきたが、その強烈な個性をもって訴えかける音楽は、特に東欧とドイツ圏において絶大な人気を博した。[[第二次世界大戦]]後ほどなくして亡くなったこともあり、[[ステレオ]]録音のような高音質の録音は残っていないが、[[SPレコード]]やライブで遺された録音を通じて、今も多くのファンの心を捉えてやまない。彼のテクニックはすっきりとした香りのある音色を基調とし、飛び跳ねるような固めのスピッカート、大きく幅をとりゆっくりとしたヴィブラート、艶かしいポルタメント、フラウタンドなどを駆使して、その音楽の表情は自在に千変万化した。フーベルマンは[[ヤッシャ・ハイフェッツ]]に比肩するほどのヴィルトゥオーゾであり、[[ニコロ・パガニーニ|パガニーニ]]、[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]、[[エドゥアール・ラロ|ラロ]]、[[ヘンリク・ヴィエニャフスキ|ヴィエニャフスキ]]、[[パブロ・デ・サラサーテ|サラサーテ]]などの技巧曲を得意にしたのは言うまでもないが、同時に[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]などの深い精神性を必要とする音楽も他の追随を許さなかった。それは弟子である[[ヘンリク・シェリング]]に引き継がれているといえる。
 
最晩年のブラームスはフーベルマンに新作の献呈を約束していたが、すでにガン性の[[肝硬変]]が進行しており、実現できなかった。しかし、奇しくもブラームスの没年に生まれた[[エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト|コルンゴルト]]は、フーベルマンのために自作の劇音楽『空騒ぎ』作品14からヴァイオリン組曲を編んだだけでなく、フーベルマンの依嘱に応じて[[ヴァイオリン協奏曲 (コルンゴルト)|ヴァイオリン協奏曲]]を作曲した(しかし協奏曲は、[[アルマ・マーラー=ヴェルフェル]]に献呈されている)。コルンゴルトの協奏曲における数々の超絶技巧は、結局ハイフェッツの録音により知らしめられたが、実際はフーベルマンのテクニックを想定して書かれているのである。この協奏曲の初演権は、当然フーベルマンに与えられたが、フーベルマンがハイフェッツのリハーサルを耳にして断念、権利をハイフェッツに譲ったとの逸話が伝えられている。[[ハヴァーガル・ブライアン]]の[[ヴァイオリン協奏曲]]もフーベルマンの演奏を想定して作曲されたが、フーベルマンが演奏することはついになかった。
 
==代表的な演奏==
SPに吹き込んだ[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]の[[ヴァイオリン協奏曲 (チャイコフスキー)|ヴァイオリン協奏曲]]が最も有名。しかし、カットが多い。ラロのスペイン交響曲や、フリードマンとの協演によるベートーヴェンのクロイツェルソナタもSP時代の名盤として評価が高い。晩年のライブ録音では、ルバイキンとのコンビによるシューベルトのグランド・ファンタジアや、ロジンスキー指揮・フィルハーモニアオーケストラとのブラームスのヴァイオリン協奏曲が名演として知られている
 
== 外部リンク ==