「スミソニアン協会本部」の版間の差分

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Alma mater (会話 | 投稿記録)
fromen:Smithsonian Institution Building 18:46, 4 April 2006, UTC. By Postdlf, Deror avi, Quadell, Aoi, Cybjorg, Bluemoose, Choalbaton, Bluebot et al. 訳出、画像等加筆。
 
Nevylax (会話 | 投稿記録)
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==沿革==
スミソニアン協会本部はスミソニアン博物館群の中で最初の建築物として創建された。完成したのは[[1855年]]で、築造は[[ニューヨーク]]にある[[セント・パトリック大聖堂|セント・パトリック大聖堂 (ニューヨーク)]]や、ワシントンD.C.にある[[レンウィックギャラリー]]を建てたことでも知られる、[[ジェームズレンウィックジュニア]]の手によるものである。尚、これまでに幾度も修築が行われている。[[1865年]][[1月24日]]に最初の火災の被害に遭っており、主要部上方の彫刻を焼いたほか、北側と南側の塔も損傷した。[[1884年]]には建物東翼に防災処置が施され、より多くの機能を収容できるよう拡張された。[[1968年]]から[[1969年]]にかけて改築が行われ、初期の[[ヴィクトリア朝]]時代を思い起こさせる、当時の雰囲気を復元したようなデザインとなった。
 
同建築物はスミソニアン協会の最初の事務長であった、[[ジョセフヘンリー]]とその家族の生家として扱われ、[[1858年]]から[[1960年代]]まで存在した展示場を含めて、長年スミソニアン協会の全面機能が収容されていた。[[1901年]]には、ワシントンD.C.で初めて子供専用の部屋が建物南塔の部屋に取り付けられた。この空間は、建物で最初に装飾された屋根を有し、壁の型版が[[1987年]]に復元されるなどした場所である。北側入り口付近内部には協会の後援者であった[[ジェームズスミソン]]の地下聖堂があり、ナショナル・モール側に外へ出ると、アメリカ合衆国の彫刻家、[[ウィリアム・ウェトモア・ストーリー]]によって建築が履行された、ジョセフ・ヘンリーの銅像が立てられている。[[1996年]]に、スミソニアン協会創立150周年を記念して、教会鐘が新たに付け加えられた。当初レンウィックが建設を計画した際に教会鐘の追加を提案していたが、本部建物に鐘を取り付けるだけの資金が無かった。現在鐘は1時間おきに鳴るようになっている。
 
==ギャラリー==