「稲田正純」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎経歴: 画像追加
編集の要約なし
37行目:
 
[[File:Inada Masazumi 1952.jpg|thumb|150px|1952年]]
1975年(昭和50年)頃、ノモンハン事件を執筆しようと考えていた作家の[[司馬遼太郎]]が、文藝春秋の[[半藤一利]]とともに稲田のもとを訪れた。事件当時の参謀本部作戦課長あった稲田は、「とにかく悪いのはみんな関東軍だ。現地が言う事を聞かなかったからあんなことになった」「国境線のことは関東軍に任せていた」というような話しかしない。その無責任な態度に司馬遼太郎は、「いくらなんでもあんまりじゃないか。こんな奴が作戦課長だったのかと、心底あきれた」と半藤に語ったという<ref>『昭和の名将と愚将』文春新書、P178 2008年</ref>。
 
== 親族 ==