「ブライアン・フリーマントル」の版間の差分

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== 略歴 ==
[[サウサンプトン]]に生まれる。中学卒業後、地元新聞社のメッセンジャーボーイから週刊紙の新聞記者となる。中央紙の[[デイリー・エクスプレス]]紙、デイリー・スケッチ紙を経て、[[デイリー・メイル]]紙に勤務。外報部長を務める1973年に処女作『 GOODBYE TO AN OLDFRIEND 』でデビュー。1975年に退職し、ジャーナリストとして活動。特派員として30カ国以上に滞在。23歳に脳内出血で倒れ、1988年にも再発するが、手術で一命を取り留めた。
 
[[ソビエト連邦]]には、政府当局から入国許可が下りず、[[ロシア]]となり体制が変わるまで入国できなかった。