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[[1950年]]代の[[日本映画]]全盛期に、「[[太陽の季節]]」、「[[狂った果実 (小説)|狂った果実]]」、「[[彼岸花 (映画)|彼岸花]]」、「[[秋日和]]」、「[[秋刀魚の味]]」、「[[四十八歳の抵抗]]」等、
400本にものぼる[[映画]]の衣装を手掛けた。<ref>[http://www.tsushinhanae-mori.tvcom/brandjp/parisabout/hmhistory.html  ファショコン通信 ]ハナエモリのブランド情報</ref>
 
[[1954年]]、銀座にブティック&サロン「ハナヱ・モリ」オープン。<ref>[http://www.tsushin.tv/brand/paris/hm.html HANAE MORI ]ブランドヒストリー</ref>
 
[[1965年]]に[[ニューヨーク・コレクション]]に初参加。[[蝶]]をモチーフにした女性的でエレガントなドレスが受け、マダム・バタフライと呼ばれてファッション界の話題になった。アメリカでの好評を受け、[[パリ・コレクション]]にも進出した。その後、洋服だけでなく、ハナエ・モリと蝶のマークを冠した[[ライセンス]]商法をスタートさせ、タオルや魔法瓶、トイレのスリッパに至るまで商品数を増やし、事業の幅を広げた。それまで小規模なビジネスであったクチュール業界において、百億円に近いビジネス拡大は世界のファッション業界を驚かせるもので、ファッションビジネスの未来を切り開いたとして評価され、[[1977年]]には、ファッション業界において最も権威的であり、非常に閉鎖的でもあったフランス・[[オートクチュール]]協会(Fédération française de la couture)から、アジア人として初めて会員として認められた。これらは、その後の日本人デザイナーの世界進出や、クチュール[[メゾン]](デザイナーハウス)の巨大ビジネス化に寄与している。