「書誌学」の版間の差分

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その歴史的な第一歩は、[[奈良時代]]の書目編纂に始まる。各大寺の経蔵の所蔵目録や、一切経の蔵経目録など、[[経録]](仏典目録)類が盛んに編修された。[[平安時代]]になると、[[藤原佐世]]による漢籍目録の『[[日本国見在書目録]]』が現れる。また、蔵書目録としては、[[信西]]による『通憲入道蔵書目録』が見られる。また、平安末になると、[[宋代|宋]]刊本を用いた漢籍の校勘や、『[[万葉集]]』などの伝本の対校が実施されるようになった。[[鎌倉時代]]になると、[[仙覚]]律師による『万葉集』の校勘が、その水準の高さを誇っている。また、その末期には、『本朝書籍目録』という総目録が編纂されている。江戸時代には、[[山井崑崙]]<ref>『七経孟子考文』を著わしたことで知られる</ref>、[[近藤正斎]]、[[狩谷エキ斎|狩谷棭斎]]、[[渋江抽斎]]、[[森立之]]らの書誌学の大立者が現われた。
 
日本の近代については、印刷は主に活版で行われ、特有の書誌学的問題を生じさせた。問題点のありかは、山下浩『本文の生態学――漱石・鷗外・芥川』]([[日本エディタースクール]]出版部、1993)において明晰に説明されている(参考文献を参照)。
 
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