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Tahuantinsuyo (会話 | 投稿記録)
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== 歴史 ==
[[File:Catedral de Riohacha.png|200px|left|thumb|リオアチャ大聖堂]]
この地域一帯では古くから[[アラワク族]]の一部族、ワユー族が住みついていた。1498年にスペイン人水夫の[[{{仮リンク|アロンソ・デ・オヘダ]]|es|Alonso de Ojeda|en|Alonso de Ojeda}}が陸地を「発見」後、少し経って探検家のフアン・デ・ラ・コサが現在のラ・ベラ岬(帆の岬 の意)に上陸した。1535年にはドイツ人探検家のニコラウス・フェデルマンがヌエストラ・セノーラ・サンタ・マリア・デ・ロス・レメディオス・デル・カボ・デ・ラ・ベラ(ラ・ベラ岬の救済の聖母メアリー)という街を築いた。
 
やがてスペイン人がこの地で大量の真珠を発見すると、常に海賊に狙われるようになった。街が海賊によって荒らされると、市は街をまるごとランチェリア川の河口に移転し、海賊を混乱させた。次の襲撃に備えて街を再建することもできた。新しい街はヌエストラ・セノーラ・デ・ロス・レメディオス・デル・リオ・デ・ラ・アチャ(斧の川の救済の聖母)と名付けられた。「斧の川」というのは、この地域に斧に関する言い伝えがあったことに因む。市街地は着々と拡大されたが、すぐにまた海賊に狙われるようになった。1596年にはイギリス人海賊の[[フランシス・ドレーク]]によってまたも襲撃され、金や真珠が略奪された。