「ヨハン2世 (バイエルン公)」の版間の差分

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'''ヨハン2世'''(Johann II., [[1341年]] - [[1397年]])は、[[14世紀]]の[[バイエルン大公|バイエルン公]]。[[シュテファン2世 (バイエルン公)|シュテファン2世]]と[[ナポリとシチリアの君主一覧|シチリア王]][[フェデリーコ2世 (シチリア王)|フェデリーコ2世]]の娘イザベッラの三男。[[シュテファン3世 (バイエルン公)|シュテファン3世]]、[[フリードリヒ (バイエルン公)|フリードリヒ]]の弟。[[バイエルン=ランツフート|下バイエルン=ランツフート]][[バイエルン大公|公]]、[[バイエルン=ミュンヘン|上バイエルン=ミュンヘン]][[バイエルン大公|公]]。
 
[[1375年]]、2人の兄シュテファン3世、フリードリヒと共に相続、[[1392年]]には領土を3分割し、シュテファン3世は[[インゴルシュタット]]、フリードリヒは[[ランツフート]]を、ヨハン2世は[[ミュンヘン]]を治める事になった。しかし、シュテファン3世とは対立していて、[[1397年]]にヨハン2世が死去した後も2人の息子[[エルンスト (バイエルン公)|エルンスト]]、[[ヴィルヘルム3世 (バイエルン公)|ヴィルヘルム3世]]とシュテファン3世の対立は収まらず、[[ミュンヘン]]市民の暴動を招く事になる。