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「高田馬場[[流鏑馬]](やぶさめ)畫図」を引用した江戸期の随筆「蘿月庵國書漫抄」には、射手の武士名や介添、弓指、的立、馬の種類などが記載されている。それによれば射手の名は一番「能勢河内守源頼忠」、二番「宮城越前守大江和忠」、三番「萩原主水正菅原雅忠」・・・などである<ref>尾崎雅嘉「蘿月庵國書漫抄」吉川弘文館(日本随筆大成 巻2)、1927年,417頁</ref>。
 
史跡の「高田馬場跡」はかつての[[戸塚町 (東京府)|戸塚村]]の中、現在の新宿区[[西早稲田]]一丁目5の一部、および三丁目1~2、12~14番付近({{ウィキ座標|35|42|36|N|139|42|54|E|region:JP-13_type:landmark_scale:2500|地図|name=高田馬場跡}}<!--西早稲田交差点の北側一帯、およびそこから西へ、早稲田通りと一本北の茶屋町通りに挟まれた一帯-->)にあたり、広さは東西へ6町(約650m)、南北へ30余間(約55m)。横長の形状をしていた。
 
== 統計 ==