「コルビー・ルイス」の版間の差分

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{{by|2008年}}、オープン戦で「モーションの静止が短い」と言う理由で[[ボーク]]を取られる場面が何度もあり、初登板の[[中日ドラゴンズ]]戦では、4イニングで3ボークを記録。しかしその後ボークを取られることはなく、5月には6試合に登板し、4勝1敗で防御率1.60、WHIP0.82の好成績で月間MVPに選ばれた。6月15日の[[埼玉西武ライオンズ]]戦でリーグトップの10勝目をマークし、[[2008年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]の選手間投票で選出されるが、前半戦のみで規定投球回数直前まで投げぬく活躍により体の疲労、肘の炎症などを併発し7月中旬にチームを離脱。選手間投票で選出されたオールスターで先発投手が予定されていたこともあり「名誉なこと。1イニングでも投げたい」と出場を熱望していたが、オールスターゲームを辞退となった。8月20日にようやく[[先発ローテーション]]に復帰した。最終的にチームトップの15勝、リーグ2位の防御率2.680、同1位のWHIP1.00を記録した。なお、最優秀防御率の[[石川雅規]]とは、わずか0.003差で、最終登板試合で打ち込まれるまでは2.3台だった。また、[[最多奪三振 (日本プロ野球)|最多奪三振]]のタイトルを獲得し、前年ドジャースに移籍した[[黒田博樹]]に代わる先発投手陣の大黒柱として大活躍した。26試合の先発登板中、5回を持たずに降板した試合がわずか2試合。チーム随一の安定感であり中4日での登板もいとわず勝利を重ねた。ちなみに与四球27は規定投球回に達した投手では両リーグ通じて最少である。来日1年目からファンの信頼も厚く、「神様、仏様、ルイス様」と呼ばれた。
 
{{by|2009年}}は[[開幕投手]]として4月3日の[[読売ジャイアンツ]]戦に登板し、広島の外国人投手としては1999年の[[ネイサン・ミンチー]]以来の勝利投手となった。4月中盤に顔面麻痺で戦線離脱するものの、すぐに復帰。前年辞退した[[2009年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]には監督推薦で選ばれ、地元広島での第2戦に登板した。9月30日の[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦では自身がバントを失敗した直後、ベンチでヘルメットを地面に叩きつけて[[アンディ・フィリップス]]の顔面を負傷させてしまった。前年に比べるとやや好不調の波が激しく、好投することもあれば大量失点を喫することもあったため勝ち星や防御率をやや下げたが、全体的には変わらぬ安定感を披露。最終的に、広島の外国人投手史上初の2年連続二桁勝利となる11勝、防御率2点台を記録し、2年連続で最多奪三振のタイトルを獲得。与四球も、2年続けて規定投球回到達者中最少(19個)だった。また、2本の場外弾を含む3本塁打を放ち、打撃でもインパクトを残した。WHIPは先発投手としては驚異的な0.99と1を切った。また、運や味方の守備力に左右されない評価指標[[DIPS (野球)|DIPS]]は2.53でリーグ1位であり、同じくK/BBでは驚異的な9.79を残すなど<ref>[http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/baseball101207_1_1.html レンジャース・建山がメジャーで成功するワケ ~秘訣は“奥行き”を使った投球術にあり~] - (1/3) - OCNスポーツ 野球コラム</ref>、勝敗や防御率以上に投球内容は良かった。これらの活躍から翌シーズンに向けての契約交渉が進められていたが、家族の健康を理由にアメリカに戻ってプレーしたいという本人からの申し出がなされ、12月14日に一転して退団することが発表された。この時は詳しい説明がされなかったが、翌年2月に[[ESPN]]の取材に対して、ジェニー夫人が[[甲状腺]]の病気である[[バセドウ病]]を患っていることを明かした。加えて新たな子どもが欲しいと考えており、この2つが退団の大きな決め手となったという<ref>[http://sports.espn.go.com/mlb/hotstove09/columns/story?columnist=kurkjian_tim&id=4879385 Tim Kurkjian: Road leads back to majors for Colby Lewis - ESPN]</ref>。
 
=== レンジャーズ復帰 ===