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[[樺太庁|樺太]][[敷香郡]][[泊岸村]]([[樺太|サハリン]])出身。[[網走支庁]][[遠軽町]]で育つ。[[1958年]]、[[北海道大学]][[農学部]]を卒業し、[[北海道]]庁に入庁。
 
土木部次長、知事室長、北海道公営企業管理者、[[横路孝弘]]知事の下で[[副知事 (日本)|副知事]]などの職を経て、[[1995年]]に北海道知事選に無所属([[新進党]]・[[日本社会党]]・[[公明]]・[[民社協会]]推薦)で出馬し、[[伊東秀子]]を破って初当選する。2期目も無所属ながら[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]・[[民主党 (日本)|民主党]]・公明党・[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]・民社協会の推薦(いわゆる[[オール与党|相乗り]])を得て再び伊東秀子を破り、圧勝した(ただし、社会民主党は2期目の途中で道政与党から離脱する旨の宣言をしている)。
 
[[1997年]][[北海道拓殖銀行]]破綻後、非常事態宣言を表明し、北海道の構造改革を呼びかけたが、公共事業の支出で逆に道の財政を悪化させてしまい優秀な人材を道外に流失させた点について、忸怩たる思いだと述懐している。