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そのため、チッカ・デーヴァ・ラージャはそれを追ってきたムガル帝国の皇帝[[アウラングゼーブ]]に味方し、その代償として領土を得るなどして危機を脱した。
 
その後、その息子[[ナラサー・ラージャ2世]](在位1704 - 1714)の治世、[[1707年]]に皇帝アウラングゼーブが死亡し帝国が衰退していくと、ムガル帝国の広大な領土は徐々に解体され、[[1713年]][[カルナータカ太守]]([[アルコット (インド)|アルコット]]{{要曖昧さ回避|date=2014年7月30日}}太守)が独立してカルナータカ地方政権が成立するなど、南インドはこれらをはじめとするいくつかの地方勢力が分立する形となり、マイソール王国もその主権から離れていった。
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===カーナティック戦争と簒奪者ハイダル・アリーによる近代化と領土拡大===