「自然選択説」の版間の差分

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→‎頻度依存選択: 異論があるようなので、簡易な説明に留める。性比が1:1にならないケースについて全く言及しないのであれば、説明として不完全
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では100分の2の肺が一般的に見られるようになった群れではどうだろうか。そこには[[変異]]に由来する個体差があり、相変わらず100分の1の肺しか持たずに生まれてくる者もいれば、100分の3の肺を持って生まれてくる者もいる。平均すれば100分の3の肺を持つ者の方がより生きながらえる可能性が高い。つまりいずれは100分の3の肺が一般的に見られるようになり、そのあとには100分の4の肺が・・・と考えられる。現実では選択圧は多様なので、肺の容量が必ずしもキノボリウオの生存に有利になるとは限らないが、不完全な性質は無意味であるとは言えないのである。そもそも『完全な性質』というものは無いのであり、『不完全な性質』というのは現世生物を完全な性質を持つものと仮定しての相対評価に過ぎない。
 
冒頭で述べた「不完全な眼」についても、明暗を僅かながら見分ける能力であっても、それを持つ生物の生存確率には影響しえる。また[[ムササビ]]の横膜のように、現世生物においても、滑空はできても飛行できない、言わば「不完全な翼」であが役立っても、例えば鳥類におては、餌とな昆虫類を採取するための捕虫網的な用途が例もり、そのうち昆虫を追いかけて飛翔能力を得た、とする学説も存在する。
 
その一方で、ドーキンスのあげた例は、「不完全な性質であっても無意味でないもの」を抽出したに過ぎないという意見もある。例えば[[カレイ]]や[[ヒラメ]]のような身体の片方に両眼が寄った形態は、現在のような「完全な状態」であれば意味があるが、進化の過程としての中途半端に片側に眼が寄りつつある状態は、その生物の生存のためにどういった役に立つのか、という疑問点がある。