「アブデュルレシト・イブラヒム」の版間の差分

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アブデュルレシト・イブラヒムは、その生涯で2度来日し、日本におけるイスラームの普及に大きな役割を果たした。1度目の来日は、[[1908年]]に始まる大旅行の途中で日本に立ち寄った際である。イブラヒムは、[[1909年]]2月から6月まで日本に滞在し、[[伊藤博文]]、[[大隈重信]]、[[松浦厚]]ら要人と会見しただけでなく、学校や文化団体などで講演を行い、イスラームの紹介、ムスリムと日本人の関係強化を訴えた。各地で行った講演の内容は、『[[報知新聞]]』などの媒体で報じられた。
 
日本のアジア進出を目指す[[アジア主義]]者の活動家らは、ロシアからの政治亡命者であるイブラヒムに関心をもち、イブラヒムもまた、自身の目的である汎イスラーム主義の宣伝や、反ロシア帝政運動に利用するために、日本の右翼、陸軍関係者に接近しようとした。イブラヒムは、日本滞在中に、[[頭山満]]、[[内田良平_(政治運動家)|内田良平]]ら、アジア主義団体[[黒龍会]]関係者と接触。[[1909年]]に陸軍中佐[[東亜同文会]]会員で初めてイスラムに改宗した日本人と呼ばれる[[大原武慶]]陸軍中佐を会長に、[[アジア主義]]団体[[亜細亜義会]]が設立された際には、[[犬養毅]]、頭山満、[[河野広中]]、[[中野常太郎]]らと共に設立発起人に名を連ねた。
 
また、イブラヒムは、[[ムハンマド・バラカトゥッラー]]ら在日インド系ムスリムと共に、東京にモスクの建設を計画した。亜細亜義会の中野らから建設用地の提供申し入れを受けるなど支援を受けたが、結局モスクの建設計画は立ち消えとなった(その後モスクは1938年に別の場所に建設された)。