「アタルヴァ・ヴェーダ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
4行目:
古い部分は紀元前1500年ころには成立し、時代とともに書き加えられていったと考えられる。当初は、ヴェーダとして認められていなかったが、紀元前500年ころから徐々に認められるようになり、現在では4ヴェーダのひとつと称されるようになった。たとえば、古い仏典でヴェーダといえば3ヴェーダ(『[[リグ・ヴェーダ]]』、『[[サーマ・ヴェーダ]]』、『[[ヤジュル・ヴェーダ]]』)のことで、『アタルヴァ・ヴェーダ』は含まれていないことが多い。
 
なお[[原始仏典|初期仏教]][[経典]]には「わが信徒は、『アタルヴァ・ヴェーダ』の呪法と夢占いと相の占いと星占いとを行ってはならない」(『[[スッタニパータ]]』)と記されている。
 
伝承では九つの派があったとされるが、現存しているのはシャウナカ派とパイッパラーダ派の二派で、通常アタルヴァ・ヴェーダといえば前者を示す。シャウナカ派の本集は20巻731賛歌。アタルヴァ・ヴェーダの哲学賛歌と呼ばれるものは、第8巻から第12巻にほぼ含まれ、リグ・ヴェーダ末期の哲学賛歌と[[ウパニシャッド]]をつなぐ部分に相当する。
 
アタルヴァとは、アタルヴァンという名の種族が伝えたヴェーダ(知識)という意味である。古名は、アタルヴァ=アーンギラサといい、[[アタルヴァン族]][[アーンギラサ族]]の知識を合わせた非アーリア系の古文書である。アタルヴァン族は主に、吉祥増益の呪文を伝え、呪詛調伏の呪文はアーンギラサ族のものとされている<ref>『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌 ―古代インドの呪法』 244頁、[[辻直四郎]]訳 (岩波文庫第4刷1998) 。</ref>。他の3ヴェーダが、他所からきた支配者階級([[アーリア人]]系)の知識であることに対し、『アタルヴァ・ヴェーダ』はアーリア系の知識に土着の民族(非アーリア系)の知識を加え集大成したものという見方もある。主に呪文が書かれていることが強調されているため、[[密教]]の元と源流なった書物文献して有名であもみなされる。しかし

また医学に関する記述も多く、[[古代インド]]の医学書であるだけでなく、現存する'''世界最古の医学書'''と目され、[[古代ギリシア]]や[[古代中国]]の医学にも影響を与えていると考えられている。ヴェーダが軸となった時代は、病気は悪霊の仕業と考えられ、悪霊を退治するための呪術と医学は区別されていなかった。ただし今日では、医学健康に関する部分は『[[アーユルヴェーダ|アーユル・ヴェーダ]]』として抜き出し用いられ、『アタルヴァ・ヴェーダ』よりも著名となっている。
 
== アーンギラサ族 ==