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何らかの粒子的な単位の存在が認められ道具として用いられるようになるのと平行して、「分割不可能」という概念のほうは後退してゆくことになった。
 
原子の存在自体がまだ広くは認められていなかった20世紀初頭においても、つまり、物質がのっぺりとしておらず何かしらの単位がある、と自然科学者によってようやく考えられるようになった。それが「Atom」と呼ばれるようになった20世紀初頭においても、既に原子の存在実験的に実証される以前に電子が発見されていた事から、原子は、負の電荷を持った[[電子]]正の電荷を持った何か」でできているという議論が行わなさており(るようになった。つまり下部構造についての議論が始まっておりそれ電子と[[原子核]]からなることも、ほぼ確実視されていた<ref>日本では、原子が原子核と電子からなるとする考えを最初に提唱したのは[[長岡半太郎]]であるかのような風聞があるが、既にその3年前にジャン・ペランが提唱済みである。</ref>。皮肉なことに、Atom「原子」という言葉がようやく科学的なものとして用いられ始めたころには、原義の「分割不可能な最小単位」どおりのものではなくなっていたのである。さらに「原子核の内部構造として「[[陽子]]」と「[[中性子]]」が存在する」と考えられるようになり、さらにAtomという概念からは遠のいた。さらに、その後のさまざまな研究により、その陽子や中性子も「分割不可能」ではなく「内部構造(下部構造)を持つ」とされるようになった<ref>(後にその内部構造は「[[クォーク]]」と呼ばれるようになった</ref>
 
また、古代原子論や近代の原子論のように「ある大きさを持つ粒子」が物質の基本単位になっている、とする考え方とは異なった、「大きさを持たない点」によって物質が成立している、とする考え方も生まれた。<!--