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Oruwanwan (会話 | 投稿記録)
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== 馬主として ==
19731974、日本中央競馬会に馬主とな登録す<ref name="cit"/>。現在では一世代50頭近くを所有する大馬主であり、2009年9月からは[[日本馬主協会連合会]]会長を務め現在は名誉会長。[[冠名]]の「メイショウ」<ref name="daily" />は、本人が[[明石市]]生まれであることから「'''明'''石の'''松'''本」に由来し<ref name="cit"/>、また同じ発音の「[[名将]]」ともかけている。妻の和子、息子の好隆も馬主。所有馬のほとんどは[[栗東トレーニングセンター]]に入厩(ほぼすべての厩舎)しているが、一部[[美浦トレーニングセンター]]の[[小島太]]厩舎や[[中野栄治]]厩舎に預託している馬もいる。[[勝負服 (競馬)|勝負服]]の柄は胴青・桃襷・袖桃<ref name="sponichi20120803">{{Cite web|author=秋田麻由子|date=2012-08-03|url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/08/03/kiji/K20120803003820150.html|title=地方競馬です!!「ミスターピンクの一言で…吉本騎手が再デビュー!」|language=日本語|publisher=[[スポーツニッポン]]|accessdate=2013-05-17}}</ref>であり、地方競馬騎手の吉本隆記が松本の許可を得て同じ柄の勝負服を使用している<ref name="sponichi20120803" />。
 
大牧場出身の良血馬に席巻されている日本競馬界の中で、松本は中小規模の牧場との交流や繋がりを重視し、持ち馬のほとんどがそれらの牧場出身の良血とは言い難い安価な馬というのが特徴である。松本自身が馬を見て選ぶことはせず、調教師や牧場が薦めた馬を安く買っている。[[メイショウサムソン]]を初めて生で見たのはデビュー戦のパドックであった。また、現役時代に所有していた馬の産駒も多く、[[メイショウホムラ]]とその産駒[[メイショウバトラー]]は父子二代で[[重賞]]勝ち馬となった。中小規模の牧場で働く人々からは尊敬と親しみを込めて「'''メイショウさん'''」と呼ばれており、日高地区には「三愛会」という名の松本を囲む会もあるという<ref name="furusato">{{Cite web|date=2005|url=http://uma-furusato.com/winner_info/detail/_id_36505|title=重賞ウイナーレポート「2005年02月20日 フェブラリーS G1 優勝馬:メイショウボーラー」|work=競走馬のふるさと案内所|language=日本語|publisher=[[日本軽種馬協会]]|accessdate=2013-05-17}}</ref>。所有した牡馬が競走馬として活躍できなくても、[[誘導馬]]に転向させることが多い馬主のひとりでもある。