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ドラフト制度によって選手は自分の球団を選べず、[[日本国憲法|憲法]]が定める「職業選択の自由」に反するのではないかという議論が巨人の親会社である[[読売新聞]]を中心に起こり、国会でも議題にのぼった。江川がクラウンからの指名を拒否している1978年[[2月16日]]に参議院法務委員会で質疑の対象になり、[[鈴木龍二]]、[[三原脩]]、[[川上哲治]]など球界関係者5人が参考人に呼ばれた。
 
江川問題は沢村賞の選考基準を変えさせている。当時、沢村賞は明確な選考基準がなく運動記者クラブの部長会投票で選出されていた。江川は1980年に16勝をあげ最多勝のタイトルを獲得したが落選(該当者なし)、翌1981年には20勝6敗の好成績で最多勝、最優秀防御率等投手タイトル5冠を獲得したが記者投票により[[西本聖]]が選ばれた。原因に江川事件が影響しているとされ記者会見の場で記者から江川に江川は沢村賞の人格に値せず」との理由が飛び出した<ref>TBSテレビ「20世紀スポーツ名勝負 ライバル伝説…光と影ニッポン1981年10月15日号</ref><ref>毎日新聞1981年10月15日号運動面「江川は沢村賞の人格に値せず 西本が沢村賞」</ref>。そのため翌年1982年からは、選考基準が作成されかつ元プロ野球投手から構成される「沢村賞選考委員会」による選出に変更された。{{main|沢村栄治賞}}
 
後年、選手が球団を選べる裁量を大きくするために、日本野球機構は[[逆指名制度]]([[1993年]]から[[2007年]]まで)の導入や[[フリーエージェント (日本プロ野球)|FA]]制度を導入した。